白川城 (搦目城)

撮影日2005年7月3日

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01・登城口

02・一の曲輪

03・空堀、土塁

04・塁壁、帯曲輪

05・塁壁、帯曲輪

06・一の曲輪

07・墓?

12・結城宗廣公供養の塔

08・櫓台?

09・一の曲輪

10・腰曲輪

11・腰曲輪

13・腰曲輪

14・一の曲輪、空堀、土塁

 

☆名称(別称)

白川城  (搦目城、結城白川城)

☆所在地

福島県白河市藤沢山

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

鎌倉時代初期 結城祐広  創築?

改修時期不明

天正18年(1590年) 豊臣秀吉の奥州征伐で結城氏滅亡のため廃城か?

☆城主

白川結城氏

☆遺構・復元物

曲輪、土塁、空堀など。

☆一言歴史

 史料等が少ないためわかる範囲で。

 

 鎌倉時代初期に源頼朝に従い、奥州征伐にて武功をたて白河荘を与えられた結城朝光の孫祐広が、正応2年(1289年)頃下総結城より移ってきて、本拠としたといわれています。この頃に白川城が築かれたようです。

 

 のちの興国年間(暦応3年〜貞和2年頃・1340〜46年)に結城氏一族の結城親朝がを築いて小峰氏を称します。

 その後結城氏と小峰氏との間で嫡子がいないと養子をお互いに受け入れたりして相続していました。やがて白川結城氏の本城は小峰城へと移っていき、小峰氏の方が勢力を伸ばしていきました。

 

 小峰氏は天正18年(1590年)に小田原討伐に参加しなかったことから豊臣秀吉の奥州仕置によって領地を没収され滅亡しました。

 このとき、この白川城も廃城になったのではと考えられます。

☆私的見所

 このたび約2年ぶりに小峰城へ行こうと思い、せっかく来たのだからとこの白川城にも立ち寄ってみました。小峰城とは違いこちらは中世山城ですが、思いのほか遺構は残っていました。

 

※関連・近隣史跡など

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