白河城 (小峰城)

撮影日2005年7月3日

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201・案内図

203・資料館

202・二の丸、本丸

204・本丸西南隅石垣

205・本丸南面高石垣

206・月見二重櫓石垣

209・元太鼓門

207・本丸西南面石垣

208・西南側帯曲輪石垣

210・本丸西南面石垣

211・帯曲輪西面石垣

212・文庫櫓石垣

213・桜門跡付近

214・桜門跡

215・桜門跡付近

216・中門跡

217・富士見二重櫓跡

218・雪見二重櫓跡

219・本丸北面石垣

220・御三階櫓北面

221・矢の門跡

222・復原土塀

225・御三階櫓、東前御門

226・多聞櫓跡

227・御三階櫓

228・清水御門跡、二の丸跡

229・御三階櫓、東前御門

230・清水門

231・井戸、竹の丸

232・竹の丸石垣

233・竹の丸二重櫓跡

234・藤門跡

235・藤門跡

236・竹の丸二重櫓跡

237・矢の門跡

 

☆名称(別称)

白河城 (小峰城、白河小峰城)

☆所在地

福島県白河市郭内

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

興国元年・暦応3年(1340年) 結城(小峰)親朝  創築

文禄年間(1592〜95年) 蒲生氏郷 改修

慶長5年(1600年) 上杉景勝 改修

寛永6〜9年(1629〜32年) 丹羽長重 改修

☆城主

結城(小峰)氏 - 蒲生氏(城代関一政、町野吉高) - 上杉氏(城代五百川縫殿介) - 蒲生氏(城代町野氏吉) - 丹羽氏 - 榊原氏 - 本多氏 - 奥平氏 - 松平氏 - 久松氏 - 阿部氏 - 幕府直轄

☆遺構・復元物

本丸、二の丸の城郭、石塁、土塁、堀、復元天守(御三階)など。

☆一言歴史

 結城親朝が現地に城を築き小峰氏と称したことに始まり、小峰城と言われるのはこの時からです。小峰氏は天正18年(1590年)に小田原討伐に参加しなかったことから豊臣秀吉の奥州仕置によって領地を没収され滅亡しました。その後は会津に入封し若松城を築いた蒲生氏郷の支城となって、氏郷の武将関一政、町野吉高が小峰城の城代となりました。

 

 氏郷死後は子の秀行が跡を継ぐものの、まもなく秀吉によって下野宇都宮に転封させられ、会津には越後春日山より上杉景勝が入封し、小峰城は五百川縫殿介が城代となります。

 

 関ヶ原合戦後は再度蒲生秀行の所領となりますが、秀行の子忠郷の時に嫡子がなく断絶し、寛永4年(1627年)に安土城の普請奉行を務めた丹羽長秀の子、長重が棚倉から入封すると、寛永6〜9年(1629〜32年)にかけて城を大改築し、その頃から白河城と呼ばれるようになりました。

 丹羽氏が二本松移封後は城主が頻繁に入れ替わり、慶応2年(1866年)阿部氏が棚倉に移封後は幕府の直轄地になりました。

 

 白河は昔から東北と関東を結ぶ要衝の地であったため、戊辰戦争時には戦場となり激戦が繰り広げられました。その時に奥羽同盟軍が篭城し明治政府軍と戦ったため城の建物が消失してしまいました。

☆私的見所

 このたび約2年ぶりに小峰城へ行ってきました。本丸、帯曲輪、竹の丸の石垣はなかなか圧倒されるものがあります。会津若松城二本松城(のち長重の子光重が改築)とともに奥州諸大名(特に伊達政宗)を抑えるために幕府が丹羽長重に築かせたのだという説がありますが、事実ではないかと思います。10万石程度の大名にとってはかなり大きく、堅固なつくりですし、江戸時代に3つも城を造ったのは丹羽氏以外にはいないことからも推測できることです。

 

 その小峰城の見所は丹羽家秘伝の築城術が見られる高石垣、堀、復元御三階櫓です。櫓内には戊辰戦争時の鉄砲の鉛玉と弾痕が展示されています。時間があれば白河城から南に約8キロのところにある白河の関、城の南東約2キロのところにある南湖公園内の日本庭園・翠楽苑にも足を伸ばすことをお勧めします。江戸時代の白河城主として有名なのは、寛政の改革を行った松平定信ですが、その銅像が南湖公園にあります。

 

※関連・近隣史跡など

→会津若松城へ

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→猪苗代城へ

→鴫山城(南山城)へ

→長沼城へ

→三春城へ

→棚倉城へ

→南湖公園・翠楽園へ

→松平定信の銅像へ

 

   

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