鴫山城 (南山城)、田島陣屋

撮影日2004年11月28日

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00・旧南会津郡役所

01・外郭西側土塁

02・大手口

03・侍屋敷

04・大門跡

05・空堀

06・御平庭

07・下千畳

08・上千畳

09・土塁

10・御平庭

11・御花畑付近

12・東外壁塁

13・大門跡

14・大門跡

15・土塁、侍屋敷

16・御平庭

17・推定図

18・田島陣屋跡

 

☆名称(別称)

鴫山城 (南山城、田島城)、田島陣屋

☆所在地

福島県南会津郡田島町大字田島

☆地図

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(鴫山城の位置を指しています。田島陣屋は現在の田島町役場の場所にありました。)

☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

鎌倉〜南北朝時代(1192〜1392年、長沼氏) 創築

天正18年〜文禄4年?(1590〜95年?、蒲生氏郷) 改修

慶長3年〜慶長5年(1598年〜1600年、上杉景勝) 改修

寛永4年(1627年) 加藤嘉明が会津領主の時廃城

寛永20年(1643年、徳川幕府) 田島陣屋創築

☆城主

 (鴫山城)

長沼氏 - 伊達氏 - 蒲生氏(城代小倉氏) - 上杉氏(城代大国氏) - 蒲生氏(城代小倉氏ほか) - 加藤氏 - 幕府直轄

 (田島陣屋)

幕府代官

☆遺構・復元物

本丸、二の丸、石塁、土塁、空堀などが現存。県史跡。

☆一言歴史

鎌倉時代に長沼宗政が源頼朝の奥州征伐に追従して、その戦功により会津及び下野に領地を与えられました。そこで田島に城を築き長沼氏の本拠地となりました。

 長沼氏は会津の蘆名氏や下野の宇都宮氏などと勢力争いを展開しますが、やがて葦名氏の客将となりますが、天正17年(1589年)の摺上原の戦いののちは伊達政宗に服従し、政宗に抵抗を続ける久川城主河原田氏との交戦中に討死します。長沼氏は断絶してしまいました。

 その後まもなく政宗豊臣秀吉に会津を没収されてしまい、替わりに松阪より蒲生氏郷が入封し鴫山城は若松城の支城となります。

 氏郷没後は上杉景勝が会津領主となり、鴫山城には直江兼続の実弟大国実頼が城代として入り、この時に大規模な改修が行われたようです。なお、当時は南山城と呼ばれていたようです。

 関ヶ原の戦い後の処分によって景勝は米沢へ転封され、替わって蒲生氏郷の子秀行が会津領主に返り咲きますが、氏郷の孫忠郷の時嗣子がなく断絶し、伊予松山城より加藤嘉明が入ります。

 一国一城令に従い、寛永4年(1627年)嘉明は鴫山城を廃城としました。

 加藤氏は嘉明の子明成の時に家中騒動を起こし改易となり、若松城には徳川家光の異母弟保科正之が入ります。南会津は幕府直轄地となり田島陣屋が置かれました。

☆私的見所

 当日気温が3度ほどしかないのに防寒装備を怠って来てしまったので本丸まで行くのは断念しました。またの機会に行こうと思います。(寒かった・・・)

見所は、整備されている大門の石垣や空堀が見所の一つでしょう。

 

※関連・近隣史跡など

→会津若松城へ

→向羽黒山城へ

→白河城(小峰城)へ

→白川城(搦目城)へ

→二本松城へ

→猪苗代城へ

→越後天神山城へ

 

   

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