三春城

撮影日2004年4月21日

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01・二之門

02・愛姫生誕地碑

03・竪堀

04・揚土門

05・揚土門

06・三之門

07・二之丸大門

08・裏門

09・舞鶴城址碑

10・秋田家墓所

11・大広間

12・秋田家墓所

22・滝桜

13・本丸

14・本丸石垣

15・本丸石垣

16・本丸石垣

17・二の丸

18・裏門

23・滝桜

19・石垣?

20・矢倉

21・案内板

 

☆名称(別称)

三春城 (舞鶴城)

☆所在地

福島県田村郡三春町

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

永正年間(1504〜21年頃、田村義顕) 創築

寛永5年(1628年) 松下長綱 修築

正保2年(1645年) 秋田俊季 修築

天明5年(1785年) 火災により建物が全焼したため修築

明治4年(1871年) 廃藩置県により三春県庁となるが数ヶ月ののち平県に合併。のち平県が磐前県へと改称。

明治6〜7年(1873〜74年) 御殿、櫓など建物を取り壊す

明治9年(1876年) 福島県、若松県、磐前県が合併し福島県となる

明治19年(1886年) 御殿跡に三春高等小学校が移転される

大正11年(1922年) 本丸が公園となる

昭和46年(1971年) 城跡が城山公園となる

☆城主

田村氏 - 伊達氏 - 蒲生氏 - 上杉氏 - 蒲生氏 - 加藤氏 - 松下氏 -幕府直轄 - 秋田氏

☆遺構・復元物

本丸、二の丸郭跡、石垣の一部、竪堀、など。

☆一言歴史

 三春城は、鎌倉時代〜南北朝時代にかけて田村庄を支配していた田村氏の流れをくむといわれる田村義顕が大志多山に城を築いたのが始まりと思われます。田村氏は周囲を伊達氏、佐竹氏、葦名氏、結城氏、岩城氏など強豪に囲まれていたため、彼らに臣従する道を選びますが、天正18年(1590)豊臣秀吉の奥羽仕置により改易となってしまったため、4代目の宗顕の時に伊達政宗に従って仙台へ去ってしまいます。

 

 その後は蒲生氏郷〜上杉景勝〜加藤嘉明といった大名の所領となり、加藤氏の与力であったといわれる松下氏が改易された後は、しばらく幕府領となります。

 正保2年(1645年)秋田俊季が5万5千石で入封し、以後明治維新まで世襲します。

 

 明治4年(1871年) 廃藩置県により三春県庁となりますが、数ヶ月ののち平県に編入・合併されます。さらに平県が磐前県へと改称し、明治9年(1876年)に福島県、若松県、磐前県の3県が合併し、中央にあった「福島県」という名称になったそうです。

 お城の話に戻りますが、三春城は田村氏築城当初は典型的な山城でしたが、松下氏〜秋田氏入封頃に近世城郭として整えられたようです。しかしながら、明治維新後建物はおろか石垣までも破却され、本丸に一部の石垣を残すくらいしか面影はありません。

☆私的見所

 最近行ったわけではないのですが、未使用写真などを追加して、ちょっとページの構成を直してみました。

 

 少し残っている本丸石垣、竪堀跡。ここは近世城郭だったのですが、明治初期に破却されてしまい、中世の山城のようになってしまっています。

 また、お城とは別ですが、桜の季節はあの有名な滝桜(→22の写真)よりも、以外とこちらの方が良かったりして(三春の至る所で桜は多いのですが・・・)。

 

※関連・近隣史跡など

→会津若松城へ

→白河城(小峰城)へ

→白川城(搦目城)へ

→二本松城へ

→猪苗代城へ

→鴫山城(南山城)へ

→赤館城へ

→棚倉城へ

→伊達政宗の銅像へ

 

       

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