上杉家廟所(法音寺)

2004年6月2日の上杉家廟所(法音寺)

以下の写真は、クリックすると大きいサイズになります。

 

→順番に見る

01・上杉家廟所入口

02・「毘」と「龍」

03・御廟配置図

04・歴代廟所左側

05・上杉謙信廟

06・上杉謙信廟の奥側

07・上杉景勝廟

08・上杉鷹山廟

09・歴代廟所右側

 

☆名称(別称)

法音寺(上杉家御廟所)

☆所在地

山形県米沢市御廟

☆地図

  mapion ←地図はこちらをクリック

☆一言歴史

 上杉景勝が慶長3年(1598年)、越後春日山から会津へ移封の際に、春日山城中不識庵に埋葬されていた上杉謙信の遺骸も会津へ遷しました。さらに慶長6年(1601年)関ヶ原合戦後、景勝が米沢に転封となった時にも再度会津から米沢へ遷し、米沢城本丸の南東隅に祠を建てて祀りました。

 

 元和9年(1623年)景勝が死去したときに謙信遺骸の避難所となっていたこの地を廟所としました。そして八代宗房までは景勝を中心に左右交互に廟を建て紀州高野山清浄心院に納骨されています。十代治憲(鷹山)の時火葬をやめ土葬とします。

 

 廃藩後の明治5年(1872年)に米沢城が解体され、謙信と鷹山を合祀する上杉神社が創建されてから、明治9年(1876年)に謙信の遺骸は当地に遷されました。

 

※関連・近隣史跡

→米沢城

→栃尾城へ

→直江石堤

 

   

inserted by FC2 system