直江石堤(谷地河原堤防)

2004年6月2日の直江石堤

以下の写真は、クリックすると大きいサイズになります。

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01・石堤上部

02・石堤上部

03・石堤側面

04・二段部分

05・直江石堤の碑

06・石堤上部

07・直江石堤公園

08・直江石堤公園

 

☆名称(別称)

谷地河原堤防(直江石堤)

☆所在地

山形県米沢市大字赤崩〜南原石垣町

☆地図

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☆建設者、建設時期 

慶長6年頃〜(1601年頃〜、直江兼続) 建設

大水による修築数度あり。

☆遺構・復元物

石堤

☆一言歴史と見所

 上杉景勝の家臣直江兼続は慶長17年(1612年)頃までに城下町を整備し、城下の民のために生活用水や農業用の川を作ったりしていきました。上杉景勝が米沢に30万石と減封されてきたときには、会津120万石時代の家臣をそっくり米沢に連れてきたために城下町を拡大する必要があり、そのままの城下に入りきらない下級武士などは郊外におき、荒地の開拓をさせていきました。

 そしてこの時、城下にたびたび大雨による災害をもたらした松川(現最上川)の氾濫を防ぐために直江兼続が川原の石を使用し堤防を築こうと考えました。完成した石堤は約3kmにおよびます。兼続はこのほかにも「蛇土手」や「巴堀」など治水事業を行い、治水や農業の書まで作成しています。

 

 現存の石堤は約1.2kmですがこれを見るといかに大変な事業であったかがわかります。兼続の民のために行った事業は後に上杉鷹山に引き継がれていくこととなります。

※関連・近隣史跡

→米沢城

→上杉家廟所

→与板城へ

→会津若松城へ

→神指城へ

 

   

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