栃尾城

撮影日:2005年4月23日

以下の写真は、クリックすると拡大します。

→順番に見る

01・秋葉神社

02・上杉謙信像

03・上杉謙信像、栃尾城

04・栃尾城遠景

05・秋葉神社奥の院

06・栃尾市内

07・栃尾城登城口

08・諏訪神社

09・案内図

10・虎口

11・金井曲輪

12・崩落箇所

13・城道

14・五島丸

15・五島丸

16・五島丸

17・三の丸

18・空堀

19・空堀

20・松の丸

21・松の丸

22・松の丸

23・松の丸

24・竪堀

25・竪堀

26・空堀

27・本丸

29・狼煙台、米山薬師遠景

28・本丸虎口付近

30・本丸

31・本丸

32・城下

33・二の丸

35・二の丸と銀銘泉

36・二の丸

34・本丸〜二の丸間の虎口

37・二の丸腰曲輪周辺

38・本丸

 

☆名称(別称)

栃尾城

☆所在地

新潟県栃尾市大字栃尾町

☆地図

  ←地図はこちらをクリック

☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

築城者不明、天平年間(729〜748年)に築城か?

芳賀禅可?、南北朝時代に改修か?

慶長15年(1610年) 堀氏改易と同時に廃城

☆城主

不明 - 佐々木氏、北条氏の一族 - 本庄氏 - 神子田氏ほか

☆遺構・復元物

郭、土塁、虎口、竪堀、空堀などが現存。

☆一言歴史

 栃尾城は、に防人の在営地として築かれたと伝えられていますが、現在のような姿になったのは、本丸の説明にあるとおり南北朝時代の芳賀禅可によって築かれたとの説が有力ではないかと思われます。いずれにせよ古くから存在した城のようです。

 

 時代が下って、戦国時代に入ると越後守護の上杉氏と守護代長尾氏との対立が激化し、永正4年(1507年)から一進一退の攻防が繰り広げられました。永正7年(1510年)に長森原の戦いで、長尾景虎(のちの上杉謙信)の父長尾為景が守護上杉顕定を自刃に追い込み、越後は長尾氏の支配下に置かれることとなりました。

 

 天文5年(1536年)、為景は長男の晴景に家督を譲って隠居し、天文12年(1543年)に没しました。為景の死後、これを待っていたかのように国人領主たちの叛乱が相次ぎ、晴景はこれを抑えきれず、春日山城下の林泉寺にいた当時14歳の弟の景虎(当時は虎千代)を還俗させて栃尾城に配置しました。景虎はこれが初陣でしたが、城主本庄実仍とともに三条城主長尾俊景の叛乱を鎮圧したことで名を上げました。また、黒滝城の黒田秀忠も征伐したことで揚北や越後中郡の諸将の支持を得たことで、兄晴景が今度は景虎に対して危機感を抱いたため、景虎討伐軍を出陣させました。

 

 景虎は米山の戦いで討伐軍を破り、春日山城下に迫りましたが、守護上杉定実が調停に入り、景虎が晴景の養子となることで決着しました。守護代となったあとの長尾景虎春日山城へと移りました。景虎はやがて上杉の名跡と関東管領を引き継ぎ、政虎→輝虎→謙信と名を変えていきますが、その後の活躍はご存知の通りかと思います。

 本庄実乃も春日山城下に移ったため栃尾城には本庄玖介らが城代として入ります。

 天正6年(1578年)に謙信が急死すると、喜平次景勝と三郎景虎の二人の養子が家督をめぐって対立した御館の乱が勃発しました。栃尾城主本庄秀綱は景虎側につき、景勝方の直江信綱を攻めるなどの活躍をしましたが、翌年景虎は鮫ヶ尾城主堀江宗親を頼って御館から脱出しましたが、宗親の寝返りにあい鮫ヶ尾城で自刃してしまいました。

 

 景勝は、景虎方の残党の拠点であった三条城、栃尾城を相次いで落としました。この時の栃尾城主であった本庄秀綱は会津へ落ち延びたと言われています。

 御館の乱は景勝が勝ち、上杉謙信の正式な後継者となりました。その後、栃尾城には上田衆を城代にしていました。

 

 慶長3年(1598年)に景勝が会津へ移封となったあと、越後は堀秀治の所領となり、この栃尾城には神子田長門守が城代となりましたが、慶長15年(1610年)堀氏改易により廃城となりました。

☆私的見所&感想

 若き日の上杉謙信(長尾景虎)が居城したことで有名な城です。2004年10月の新潟中越地震の影響で崩落箇所が多数ありました。城の見所は写真の通りです。崩落箇所があったため全部回れなかったのが残念でした。

 ちなみにこの栃尾市は「油揚げ」が名産です。ネギと鰹節としょうゆで揚げたてをそのまま食べるのが一番おいしいです。市内には油揚げ屋さんがたくさんあり、どのお店でもお土産を売っていますので是非どうぞ。クルマでお越しの方は道の駅にある油揚げやさんが利用しやすいかと思います。確か1枚250円位なので栃尾に来るとおやつ代わりについ食べてしまいます。

 なお、新潟人は「あぶらあげ」ではなく「あぶらげ」と言います。

 

※関連・近隣史跡

→春日山城へ

→鮫ヶ尾城へ

→黒滝城へ

→高城へ

→米沢城へ

→上杉家廟所へ

→上杉謙信の銅像へ

 

   

inserted by FC2 system