前田利常

 

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01・芦城公園(小松城旧三の丸)の前田利常像

02・同前田利常像のアップ

 

前田利常

 (まえだとしつね、前田利家の四男、猿千代、犬千代、前田利光、筑前守→肥前守、従三位、中納言)    ・・・文禄2年〜万治元年(1593〜1658年)

 

 鼻毛の殿様(すみません。)、前田利常の銅像です。小松城の天守台を見に行こうと芦城公園脇にクルマを止め、歩いていた時に発見(?)しました。芦城公園は利常の隠居城として改修した小松城三の丸跡です。

 利常は、鼻毛を伸ばしていて口は半開きでと、常にバカ殿を演じ続けた大変な苦労人として有名です。100万石(利常の頃までは120万石)という外様最大の領土であったため、幾度も謀反の疑いをかけられたりしますが、大阪城や江戸城(現在も残る立派な天守台は金沢藩が請け負ったことは有名)の修築工事などを進んで請け負って、幕府の改易攻撃をのらりくらりとかわしてきました。民政にも気を配り、金沢には貧しいものがいないとまでいわれるようになったのは、利常のおかげでしょう。

 寛永16年(1639年)には早々と長男の光高に家督を譲り、次男利次に富山10万石、三男利治に大聖寺7万石を与え、自身は小松城を修築して隠居し、早世した光高の子綱紀の後見をしますが、万治元年(1658年)に小松城で死去しました。

 

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