金沢城

撮影日:2004年5月1日、8月1日

以下の写真は、クリックすると大きいサイズになます。

→順番に見る

P5010002.JPG (155926 バイト)

01-案内図

02-太鼓塀と百間堀

P5010006.JPG (126213 バイト)

03-石垣案内図

04-石川門高麗門

05-三の丸菱櫓

06-石川門渡櫓門

07-橋爪門続櫓と橋爪門、内堀

08-水手門

09-東の丸・本丸石垣

10-東の丸、本丸周辺の石垣

11-現存鶴丸倉庫

12-本丸石垣

P5010028.JPG (125282 バイト)

13-東の丸丑寅櫓

P5010043p2.JPG (135311 バイト)

15-五十間長屋

P5010042.JPG (111086 バイト)

14-本丸戌亥櫓

P5010050.JPG (94961 バイト)

16-三十間長屋

17-鉄門跡

18-三十間長屋

19-三十間長屋

P5010064.JPG (165960 バイト)

20-本丸戌亥櫓

21-三十間長屋

22-極楽橋、石垣

23-玉泉院丸石垣

24-大手門(尾坂門)、大手堀

P5010086.JPG (130455 バイト)

25-大手門(尾坂門)

26-大手門(尾坂門)

27-三の丸石垣

28-石川門、三の丸菱櫓

P8010280p2.JPG (175322 バイト)

29-太鼓塀と百間堀

30-五十間長屋菱櫓

31-五十間長屋

32-橋爪門、橋爪門続櫓

33-内堀、土塀

34-五十間長屋内部

35-五十間長屋の出窓、石落し

36-菱櫓内部

37-五十間長屋屋根

38-橋爪門、土塀

39-五十間長屋

P8010323t2.JPG (204664 バイト)

40-三の丸、石川門

41-石積み模型

42-東の丸丑寅櫓

43-五十間長屋です。

☆名称(別称)

金沢城 (尾山城)

☆所在地

石川県金沢市丸の内

☆地図

  ←地図はこちらをクリック

☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

天正9年〜慶長年間初期(1581年〜、佐久間盛政〜前田利家利長) 創築

以降火災による修築五度

☆城主

佐久間氏 - 前田氏

☆遺構・復元物

石川門、三十間長屋、長塀、鶴丸倉庫、石塁、堀、大名庭園(兼六園)などが現存し、五十間長屋とそれに伴う菱櫓、橋爪門続櫓などが平成13年(2001年)に復元されています。

☆一言歴史

 金沢城は現在の本丸位置に御山御坊として石山本願寺の支院が存在していたようです。天正8年(1580年)に加賀一向一揆を柴田勝家らが制圧し織田信長は佐久間盛政に築城させ尾山城と称しました。信長死後の天正11年(1583年)には羽柴秀吉前田利家を尾山城に入城させました。利家高山右近に尾山城を整備させ慶長年間初期(1600年頃)までには五重の天守をもつ城になっていったようです。

 

 金沢城は、大名庭園である兼六園や五十間長屋、石川門などの独特な意匠を持つ建築物に目が行きがちですが、野面積みから完成された切込接ぎまで多様な石垣があることにも目を向けていただきたいです。これは長期にわたって整備拡張されていったことと、五度の大火によってそのつど修改築がなされていたためかと思います。とにかく百万石の大名の城に恥じない城であることは間違いないと思います。

☆私的見所

 天守は焼失してありませんが、個人的には品のある建築物と、築城技術の進歩が見て取れる石垣、海鼠壁によって隠し狭間になっているところなどをお勧めしたいです。独特の意匠を持つ城だけに見所は多いです。時間の許す限り全て見てみましょう。

 

※関連・近隣史跡

→富山城へ

→高岡城へ

→小松城へ

→大聖寺陣屋へ

→尾山神社へ

→兼六園・成巽閣へ

→前田利家の銅像へ

→前田利長の銅像へ

→前田利常の銅像へ

→高山右近の銅像へ

 

   

inserted by FC2 system