丸岡城

撮影日:2004年5月1日

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01・縄張図

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02・天守

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04・天守腰庇

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05・天守内部

P5010126.JPG (209677 バイト)

03・天守

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06・天守内部

P5010133.JPG (52036 バイト)

07・天守内部

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08・階段

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09・本丸虎口

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10・天守台

P5010142.JPG (176846 バイト)

11・天守台

P5010146.JPG (206814 バイト)

12・天守

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13・本丸石垣

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14・井戸

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15・天守

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16・本丸石垣

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17・一筆啓上

 

☆名称(別称)

丸岡城 (霞ヶ城)

☆所在地

福井県坂井郡丸岡町霞町

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

天正4年(1576年、柴田勝豊) 創築

江戸時代本多氏が城主のころに修築されたとする説あり。

☆城主

柴田氏 - 安井氏 - 青山氏 - 今村氏 - 本多氏 - 有馬氏

☆遺構・復元物

現存天守、本丸。天守は国重要文化財。

☆一言歴史

 天正3年(1575年)柴田勝家が織田信長に越前領主として任ぜられて北庄(きたのしょう)に入城した際、甥の勝豊に北庄の支城として丸岡に城を築かせました。翌天正4年(1576年)丸岡城が完成しました。天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いで勝家が豊臣秀吉に敗れると北庄には丹羽長秀が入り、丸岡にはその家臣青山宗勝が入ります。関ヶ原の戦いの翌年慶長6年(1601年)には結城秀康が北庄に入り、福井と改めます。丸岡は福井の支城として今村氏、本多氏が入ります。寛永元年(1624年)本多氏が大名となります。元禄8年(1695年)本多氏改易後は有馬氏が入り、そのまま明治を迎えます。

 堀は大正中期から昭和初期にかけて埋められてしまいました。昭和9年国宝に指定された現存天守ですが、昭和23年の福井大地震により倒壊し、昭和30年に修復されています。

☆私的見所

 写真撮り損ねていますが、天守の瓦は希少な石瓦で葺かれています。天守は独立式で他の小天守や櫓を伴わないものなので、本丸から直接天守に入ります。堀が残っていたらまた違った眺望になるかもしれません。

 

※関連・近隣史跡

→丸岡藩砲台跡へ

→福井城へ

→一乗谷復原武家屋敷へ

 

   

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