撮影日:2004年5月1日、2006年6月18日 以下の写真は、クリックすると大きいサイズになります。 |
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01・天守台 |
02・天守台 |
03・瓦門 |
04・巽三重櫓 |
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05・本丸南面石垣 |
06・結城秀康像 |
07・坤櫓、雁木坂 |
08・天守台 |
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09・天守台 |
10・天守台 |
11・天守台 |
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12・天守台 |
14・脇櫓台 |
13・山里門 |
15・縄張り図 |
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16・山里口門 |
17・本丸石垣 |
18・岡田啓介像 |
19・岡倉天心像 |
20・由利公正像 |
22・結城秀康画 |
21・本丸石垣 |
23・巽三重櫓 |
24・縄張り図 |
25・本丸絵 |
26・巽三重櫓 |
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27・本丸推定図 |
29・北庄城址公園、柴田神社 |
28・巽三重櫓 |
30・北庄城推定絵図 |
31・北庄城址公園案内図 |
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32・勝家、お市、3人の娘 |
34・発掘された石垣 |
33・北庄城址公園、柴田神社 |
35・根石 |
36・柴田勝家像 |
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37・お市像 |
38・九十九橋 |
39・九十九橋 |
41・舎人門 |
40・舎人門 |
☆名称(別称) |
福井城 (福居城、北庄城) |
☆所在地 |
福井県福井市大手3丁目(福井城) 福井県福井市中央1丁目(北庄城、柴田神社) |
☆地図 |
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☆創築者、創築時期 (改修者、改修時期) |
天正3年(1575年、織田信長) 創築(北庄城) 慶長6年(1601年、結城秀康) 改築 |
☆城主 |
(北庄城)織田氏(城代柴田氏) - 丹羽氏 - 堀氏 - 青木氏 - 結城氏(慶長9年松平姓に復姓) - (福井城)松平氏 |
☆遺構・復元物 |
本丸、石塁、堀、天守台など。 |
☆一言歴史 |
織田信長が天正3年(1575年)加賀・越前国の一向一揆衆を壊滅させ、越前北庄に柴田勝家を入れ、九重(!?)の天守を持つ北庄城を築かせました。この時には信長自ら陣頭指揮を行ったとも伝えられています。これは後の 安土城建設に繋がっていきます。 信長横死後の賤ヶ岳の戦いにおいて、柴田勝家が羽柴秀吉との信長後継者争いに敗れ北庄城とともに滅亡します。
関ヶ原の戦いの後、徳川家康は子の結城秀康を越前にいれ、慶長6年(1601年)より北庄城の大改修を行います。北庄城から北にずらして、現在の輪郭式(環郭式)の縄張りを持つ城が天下普請により完成しました。天守は四重五層で、天守の控台があることから小天守を伴っていたのではと推測されています。この天守は寛文9年(1669年)の大火により天守他建物のほとんどを消失し天守は再建されていません。
北庄を福井と改めたのは、寛永元年(1624年)結城(松平)秀康の後嗣松平忠直が改易され弟の忠昌が入った時です。福井には以後越前松平家が世襲し明治維新を迎えます。現在福井城は本丸部分しか残っていないのですが、福井駅も福井城の縄張りの中にすっぽりと入ってしまう大城郭でした。 |
☆私的見所 |
再び福井城を訪れてみました。・・・とはいいつつも、なかなか更新できずにかなり前の写真を今頃アップしています。 広大な水堀と本丸の石垣の様子がよくわかると思います。この福井城の見所は本丸瓦門の枡形や天守台でしょう。福井地震の痕跡が残っているところもお城とは別の見所のひとつかもしれません。 新たに追加した柴田神社や、舎人門のある歴史郷土博物館(中には入りませんでしたが)も見所のひとつです。 |
※関連・近隣史跡
→柴田勝家の銅像へ
→結城秀康の銅像へ