会津若松城25(本丸、天守)

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本丸と天守です。蒲生氏郷時代の天守は下見板張りで七重であったといわれています。慶長16年(1611年)の大地震により、天守や城の大部分の石垣などが倒壊したため、加藤明成の時に五重の天守へと縮小されたようです。立て替えられた天守が天守台いっぱいに建てられていないことからも、当初は七重だった可能性は高いといわれています。

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