兼六園・成巽閣

撮影日:2004年5月1日

以下の写真は、クリックすると大きいサイズになます。

→順番に見る

☆名称(別称)

兼六園

☆所在地

石川県金沢市丸の内

☆地図

  ←地図はこちらをクリック

☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

延宝4年(1676年、前田綱紀)

☆遺構・復元物

庭園、成巽閣(巽新殿)、噴水などが遺構として現存しています。時雨亭と舟之御亭(ふなのおちん)が復元されています。

☆一言歴史

 兼六園は五代藩主綱紀が延宝4年(1676年)に自分の別荘を建て、周りを庭園にしたのが始まりです。当初は「兼六園」とは云わず「蓮池庭」という呼称だったそうです。宝暦9年(1759年)の大火で金沢城とともにかなりの部分を焼失してしまいますが、十一代藩主治修(はるなが)の時に復興されます。

十二代藩主斉広(なりなが)の時、白河藩主松平定信によって六勝を兼ね備えているということから兼六園と命名されました。六勝とは、「宏大(こうだい)」「幽邃(ゆうすい)」「人力(じんりょく)」「蒼古(そうこ)」「水泉(すいせん)」「眺望(ちょうぼう)」のことを云います。

 

 兼六園が現在の姿になったのは十三代藩主斉泰(なりやす)の時、嘉永4年(1851年)頃でした。その後まもなく維新を迎え、明治7年(1874年)、市民に開放され、大正11年(1922年)には国の名勝に指定、さらに昭和60年(1980年)には名勝から特別名勝に格上げされました。現在、水戸偕楽園、岡山後楽園とともに日本三名園の一つとして有名ですね。

☆私的見所

 庭園はもちろんのこと重要文化財である「成巽閣」も見てみましょう。残念ながら有料and撮影禁止ですが寄棟造り杮葺き(こけらぶき)で一階は武家書院造り、二階は数奇屋風書院造りの二階建てで天井や壁の意匠が凝っています。お城好きなら金沢城や、尾山神社も欠かせませんね。当日は気温が37度(確か・・・)と猛暑であったため、武家屋敷巡りは断念しました。次回は武家屋敷にも行ってみようと思っています。

 

※関連・近隣史跡

→金沢城へ

→尾山神社へ

 

       

inserted by FC2 system