五十公野茶屋

撮影日:2005年5月20日

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01・土塁

02・旧県知事公舎

03・旧県知事公舎

04・茶屋

06・茶屋内部

07・茶屋内部、式台

05・茶屋

09・茶屋

10・軒先

12・茶屋

08・庭園

11・茶屋

☆名称(別称)

五十公野茶屋、新発田藩主別邸

☆所在地

新潟県新発田市五十公野字熊ノ沢

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

慶長3年(1598年) 溝口秀勝が入封の際、仮の居所を構える。

明暦元年(1655年) 三代藩主宣直が秀勝が構えた仮の居所の跡地に別邸を建築。

四代藩主 重雄のとき庭園を造営。

☆一言歴史

 慶長3年(1598年)上杉景勝が会津に移封されたあと春日山城に入った堀秀治の与力として溝口秀勝加賀大聖寺城より新発田に6万石(後に10万石)で入封します。秀勝は当初この五十公野に居館を築き、のちに廃城となっていた新発田城を大改築して居城とするまでの間、仮の居所としました。

 

 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いで溝口秀勝は東軍についたため、所領は安堵され、以後豊臣大名としては珍しく転封も削封も無く(むしろ高直しで加増されている)明治維新を迎えます。

 

 この五十公野茶屋は、三代藩主宣直の時に秀勝が構えた仮の居所の跡地に別邸を建てたのが始まりで、四代藩主重雄の時に庭園が造営され、別邸を茶寮としたそうです。

 以後歴代藩主が参勤交代の際にここで旅装を整えたり、普段は重臣に開放し茶会を催したりしたとのことです(→パンフレットより)。

☆私的見所

 溝口氏の庭園としては清水園の方が有名ですが、こちらはかなりコンパクトかつシンプルな造りです。両方行って比較するのも良いかと・・・( ´ー`)y―~~

 また、すぐ近くには、新発田氏(五十公野氏)と上杉氏の激しい戦いが行われた五十公野城も徒歩数分のところにあります。

 

※関連・近隣史跡

→新発田城へ

→五十公野城へ

→大聖寺城へ

→笹岡城へ

→清水園、足軽長屋、石黒邸へ

→溝口秀勝の銅像へ

→新発田重家の銅像へ

 

    

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