茶室麟閣

2004年11月13日の茶室麟閣

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01・麟閣

02・案内

03・腰掛待合

04・中門

05・寄付待合

06・麟閣

07・麟閣内部

08・麟閣

 

☆名称(別称)

茶室麟閣

☆所在地

福島県会津若松市追手町(会津若松城本丸内)

☆地図

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☆創築時期、創築者

天正19年〜文禄4年(1591〜95年)頃 蒲生氏郷もしくは千少庵 創築

明治5年(1872年) 森川邸へ修築し移築

平成2年(1990年) 若松城内へ再移築

☆一言歴史

 会津若松城主が、蒲生氏郷の頃に建てられたという茶室です。正確な建築記録は残っていないそうですが、おそらく天正19年〜文禄2年(1591〜1593年)の間ではなかろうかと思います。

 天正19年(1591年)、千利休が豊臣秀吉の逆鱗に触れ自刃させられたとき、子の少庵は蒲生氏郷を頼り会津へ逃れました。利休七哲の一人であった氏郷は、文禄元年(1592年)秀吉の赦免状が出るまで少庵を匿いました。少庵は翌文禄2年(1593年)には京へ帰っています。

 明治まで若松城本丸内に建っていた麟閣ですが、戊辰戦争後に若松城が取り壊される時に、江戸時代より薬種商を営んでいて、茶人でもあった森川宗久氏が自費にて私邸に移築しました。しかし、1ヶ月の籠城戦のあった若松城の本丸内にあったこともあり、傷みがひどくそのまま使える部材がほとんどなかったといわれていますが、修復に際しては、形状や寸法は全く変えなかったそうです。

 平成2年(1990年)に再度、若松城本丸内に移築され、会津若松市指定文化財に指定、現在は福島県指定重要文化財に指定されています。

 

※近隣・関連史跡

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