越後府(水原県庁跡)

2004年5月14日の越後府

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01・復元櫓

02・復元櫓

03・案内板

 

☆名称(別称)

越後府 (水原県庁跡、継志園(市島別邸跡))

☆所在地

新潟県阿賀野市岡山  (旧北蒲原郡水原町天朝山)

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

天保7年(1836年、市島徳太郎) 創築(地主別邸)

明治2年(1869年、明治政府) 改築

明治3年(1870年) 新潟県に併合のため廃止

☆遺構・復元物

復元櫓、天朝山会館など。

☆一言歴史

 天保8年(1837年)に水原郷の豪農(大地主)市島徳太郎が難民救済事業として別邸宅を築いたのが始まりです。この別邸は継志園と名づけられました。

 この継志園は後の幕末の戊辰戦争の際には会津藩の本営となったため、戦火により焼失しました。明治2年2月には明治政府がこの地に越後府を置き、同年7月には水原県と改称しました。水原県は1年ほどで新潟県に併合されて県庁は現在の新潟県に移転しました。越後府跡は再び市島家へ返還されました。

 

 昭和22年に水原町(現阿賀野市)が買い取り、町民の憩いの場所として利用されています。

☆私的見所

 現在は天朝山公園となり、越後府があった当時の櫓が復元されています。因みにここはお城ではなく、明治政府の庁舎跡です。近くには水原代官所(水原城址)や瓢湖などがあります。

 

※関連・近隣史跡

→水原城、水原代官所、瓢湖

 

   

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