上山城

撮影日2003年7月27日

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01・復興天守と門

P7270091.JPG (440249 バイト)

02・復興天守

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03・復興天守

P7270095.JPG (443701 バイト)

04・本丸

 

☆名称(別称)

上山城 (月岡城)

☆所在地

山形県上山市元城内

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

天文4年(1535年)武衛(上山)義忠 創築

元和8年(1622年)松平重忠 修築

寛永5年(1626年)土岐頼行 修築

元禄5年(1692年)土岐氏転封により一時廃城

元禄5年(1692年)金森頼旹 修築

享保2年(1717年)松平信通 修築

☆城主

武衛氏 - 里見氏 - 最上氏 - 松平氏(能美) - 蒲生氏 - 土岐氏 - 金森氏 - 松平氏(藤井)

☆遺構・復元物

石垣、土塁、堀の一部が現存しています。現在の復興天守は、土岐氏時代の天守の位置や外観はまったく無関係です。本丸は月岡神社、二の丸は現在月岡公園になっています。

☆一言歴史

 応永年間に斯波兼頼の子孫の里見氏が着封して上山殿という山城を築きましたが、後に伊達稙宗に攻略されました。天文4年に里見氏の子孫の武衛(上山)義忠が伊達氏から城を奪還し、新たに城を築いたのが上山城です。上山氏は上山満兼の時、最上義光の謀略によって滅びましたが、義光は五男を上山光広として上山城主にしました。

 

 その後しばらく最上氏の支城でしたが、元和8年(1622年)最上氏の改易により松平重忠が入封して修築します。松平氏移封後は会津の蒲生氏の支城となり、寛永5年(1626年)には土岐頼行が入封し城の大改築をします。この時には三重の天守が築かれたといわれています。

 

 元禄5年(1692年)土岐氏移封の時に一時廃城となり、幕府の命により天守等の建築物が破却されて以降再度天守が築かれることは無かったといいます。

 

 破却された後にすぐ飛騨高山城より金森氏が入封しますが、二の丸に居館を構える程度で天守、櫓等は再興しなかったそうです。

 金森氏は元禄10年(1697年)に郡上八幡城に移封され、松平氏が入り、享保2年(1717年)に築城許可が下り本丸を造営しましたが天守、櫓などは建てられませんでした。以後、松平氏が世襲して明治維新を迎えます。

☆私的見所

 復興天守は残念ながら模擬ですが、かなり立派なつくりです。旧二の丸月岡公園からの眺めは非常によく子連れでも大丈夫なお城です。帰る前に上山温泉でくつろぎましょう。

 

※関連・近隣史跡

→山形城へ

→飛騨高山城へ

→郡上八幡城へ

→最上義光の銅像へ

 

   

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