若栗城

撮影日:

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01・土塁、石碑

01・土塁

02・土塁、案内板

03・土塁

 

☆名称(別称)

若栗城

☆所在地

富山県黒部市若栗

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

不明

☆城主

不悪凡済右京輔

☆遺構・復元物

土塁、郭跡。

☆一言歴史

(案内看板より)

土地の人たちが「たちのしろ」と呼ぶ若栗城の跡である。この城の構造は方形に堀と土塁をめぐらした平地方形館と呼ばれる中世城館の一般的形態を成している。土塁の高さは5メートル内外、その幅は10〜20メートル、長さは北東端から西へ90メートル、それより直角にみなみへ折れて約70メートルの四角の敷地で以前は東側に石段の登り口があり内部は樹木の茂る広場と北西隅に八幡宮があって古城を偲ぶにふさわしい景観であった。しかもここには上杉勢と戦った城主不悪凡済右京輔(ふあくぼんさいうきょうのすけ)の息女の勇壮な奮戦ぶりの悲話が伝えられている。現在は市民のいこいの広場となっている。この他に黒部市内に伝えられている城館跡には、石田・堀切・辻倉山・城ヶ山・胸ヶ平などがあって過ぎし日の動乱の爪跡を残している。

☆私的見所

 中世城館の雰囲気を残す方形の土塁を持つ城館跡です。土塁の周りにはやはり堀があったと思います。郭の部分は公園になっています。惜しむらくはこの城館の中央を道路が通っていることです。正直なところ、黒部峡谷へ行く途中で偶然に発見したので、詳しいことはわかりません。

 

※近隣・関連史跡

 

 

   

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