江戸城35(天守台)
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日本一の天守台の全貌です。
家光の築いた寛永天守が明暦3年(1657年)の大火で焼失したのち、加賀の前田家が7間→6間に縮小して、約1.8メートルほど低い現天守台を築きました。
しかも、天守台の周りはのちの整備によって地面が2〜3mほど上げられているとのことです。ということは寛永天守が想像を絶する大きさだったことがわかりますね。それでも、その面積は安土城や大阪城の2倍以上だそうで、その規模といい、使用している石の大きさといい、やっぱり格が違うと思います。