江戸城 (千代田城、東京城)

撮影日:2004年1月、2006年1月、3月(混在しています。)

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01・日比谷堀

02・外桜田門

03・西の丸鉢巻石垣

04・外桜田門

05・的場曲輪

06・二重橋、伏見櫓

08・田安門

07・田安門

09・田安門

10・千鳥が淵

11・千鳥が淵〜半蔵門

12・半蔵門

13・半蔵門

14・桜田堀

15・桜田堀

16・外桜田門

17・凱旋堀

18・外桜田門

19・二重橋

20・富士見櫓

21・坂下門

23・桔梗門

22・二の丸巽櫓、蛤堀

24・桜田巽櫓

25・桜田巽櫓

26・大手門

27・大手堀

28・大手堀

29・平河門

30・平河門

31・本丸石垣

32・北詰橋門

33・乾門

34・天守台

35・天守台

36・天守台

37・石室

38・大番所

39・中之門

40・下乗門

41・百人番所

42・同心番所

43・大手門

☆名称(別称)

江戸城 (千代田城、東京城)

☆所在地

東京都千代田区

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

平安時代? 江戸氏 創築?

長禄元年(1457年)太田道灌 創築

(道灌謀殺後家康入城までの間にも改修があったと思われる。)

文禄元年〜文禄2年(1592〜93年) 徳川家康 西の丸などを築く

慶長8年(1603年)〜 徳川家康の時 城下の整備拡張

慶長11年(1606年)〜 徳川秀忠の時 本丸、二の丸、三の丸、外曲輪を築く

慶長12年(1607年)〜 徳川秀忠の時 北の丸、天守を築く

慶長15年(1610年)〜 徳川秀忠の時 西の丸他の堀と石垣を築く

慶長19年(1614年) 大坂の陣のため工事を一時中断

元和8年(1622年) 徳川秀忠の時 新たに天守を築く

寛永6年(1629年) 徳川家光の時 外曲輪他の拡張修築工事を行う

寛永12年(1635年) 下乗門(大手三之門)などを修築し、二の丸庭園を築く

寛永13年(1636年)〜 外堀と土塁を築く

寛永14年(1637年) 本丸を修築

寛永15年(1638年) 天守を再築

寛永16年(1639年) 天守以外の本丸建築物の大半を焼失(翌年再築)

明暦3年(1657年) 大火により西の丸以外の大半の建築物を焼失

万治元年(1658年) 前田綱紀により天守台を再築するが天守は再建を断念

元禄16年(1703年) 大地震により櫓、門、石垣等が大破する(翌宝永元年再築)

宝永年間(1704〜11年) 吹上御苑を築く

宝永7年(1710年) 芝口門と隅櫓を築く

正徳元年(1711年) 本丸修築、天守再建を計画(翌年家宣死去により中止)

明和9年(1772年) 大火により二の丸、外曲輪の櫓や門などを焼失(家治が再築)

寛政4年(1792年) 小石川門を焼失(再築せず)

天保9年(1838年) 西の丸御殿を焼失(翌天保10年再築)

天保15年(1844年) 本丸御殿を焼失(翌弘化2年再築)

嘉永5年(1852年) 西の丸御殿を焼失(再建)

安政2年(1855年) 地震により建築物等が損壊する(翌安政3年までに修築)

安政6年(1859年) 本丸御殿などを焼失(翌万延元年再築)

文久3年(1863年) 西の丸御殿、本丸御殿などを再度焼失(本丸は再築せず)

慶応3年(1867年) 大政奉還

明治元年(1868年) 明治天皇東幸、東京城と改称

☆城主

太田氏 - 扇谷上杉氏 - 後北条氏 - 徳川氏 - 天皇家

☆遺構・復元物

富士見櫓、巽櫓、伏見櫓、外桜田門、清水門、田安門、天守台、本丸、二の丸、三の丸、西の丸、北の丸、堀、石塁、番所などが現存しています。上記以外の門については移築、復元、改変などがされているようです。城跡は特別史跡。西の丸、吹上は皇居となっています。

☆一言歴史

  江戸城は、平安時代に関東豪族の秩父氏の一族が江戸氏と称して、現在の本丸か西の丸付近に居館を築いたのが始まりと言われています。

 

 本格的な築城は扇谷上杉氏の重臣であった太田資長(道灌)によるものでした。しかし、堅固すぎる城と城下の賑わいが主君上杉定正の誤解を生み、道灌は文明18(1486)年定正により相模糟屋の館にて風呂に入り終わったところで、暗殺されてしまいます。その時に「自分を殺すようでは扇谷家はおしまいだ!」と言ったとも伝えられています。

 その言葉どおりに、忠臣を謀殺した扇谷上杉氏は急速に衰退し、江戸城は小田原城を拠点とする後北条氏の支配下に置かれます。

 

 天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原征伐により後北条氏が滅ぶと、秀吉は徳川家康を関東5ヶ国・250万石の太守として入国させました。当時、後北条氏の城代が置かれていた江戸城は相当に荒廃していたらしく、大変な大事業となりました。

 

 慶長8(1603)年に徳川家康が征夷大将軍に任命されると、大名の居城のみではなく、幕府の政庁としての機能も有すこととなり、更に拡張されることとなりました。天正18(1590)年の関東入封から40年ほどかかって江戸城は完成したことになります。将軍はすでに3代目の家光の時代になっていました。その後、何度も火災や地震などの被害に遭い、その都度、修築、再建がなされています。

 

 ちなみに天守は家康時代、秀忠時代、家光時代にそれぞれ天下普請で3度も築かれました。しかし、明暦3(1657)年の大火により天守が焼失した後は再建されることはありませんでした。

☆私的見所

 久しぶりの江戸城です。いろいろお城をまわってきましたが、やはりここへ来ると他のお城は小さいなぁと思ってしまいますね(当たり前か)。

 なかなか丸一日江戸城巡りをする時間が取れませんでしたが、何とかある程度回ってみることができましたので、数年ぶりにアップしてみました。が、今回も清水門を見逃してしまいました。次回の課題ですね。延べ12時間以上は確実に行っているはずなのに、なかなか全部見ることができないほど大きな城です。足もパンパンになってしまいますね(:´Д`)。

 

 天守こそ現存していませんが、櫓、門など現存、復元、移築されたものが多数あり、見所は非常にたくさんあります。一日かけてゆっくり回って全て(西の丸、吹上は御所等のため公開はされていませんが・・・)見てみましょう。言うまでも無く、改めて城域の広大さに感動すると思います。

 また行かなければ…

 

※近隣・関連史跡など

→小田原城へ

→楠木正成の銅像へ

 

   

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