足利氏館 (鑁阿寺)

撮影日(2006年7月11日)

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01・案内図

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02・御門

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03・土塁、堀

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04・土塁、堀

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05・本堂

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06・弘法大師像

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07・鐘楼

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08・本堂

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09・大銀杏

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10・多宝塔

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11・経堂

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12・経堂

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13・中御堂(不動堂)

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14・御霊屋、大酉堂、校倉、蛭子堂

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15・経堂

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16・御霊屋

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17・本堂、経堂

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18・御霊屋

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19・大酉堂

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20・校倉

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21・蛭子堂

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22・東門

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23・太平記館

 

☆名称(別称)

足利氏館 (鑁阿寺館)

☆所在地

栃木県足利市家富町

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

平安末期〜鎌倉初期、足利義兼 創築?

 

☆城主

足利氏

☆遺構・復元物

館跡、土塁、堀。大御堂、鐘楼(以上重要文化財)、経蔵、多宝塔、東西両山門(県指定文化財)ほか。国指定史跡。

☆一言歴史

 鑁阿寺は、平安時代末期に源義家(八幡太郎)の曾孫で、足利氏2代目の足利義兼が自らの居館として築いたのが始まりといわれています。
義兼は、足利義康の三男で、源頼朝が平家追討時に呼応して挙兵し、奥州征伐にも功があったようです。頼朝の信頼は厚く、のちに御家人として列せられました。義兼はのちに仏門に入り、鑁阿と号しました。

 館の構造は、方形の単郭で、周囲は土塁と堀で囲まれた典型的な鎌倉時代の方形居館でした。
建久7年(1196年)義兼は持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祀りました。
貞永3年(=文暦元年、1234年)、足利氏の3代目義氏は堂塔伽藍を建立し足利一門の氏寺としました。


 鑁阿寺のすぐ隣には、足利学校がありますが、始まりには諸説あり、天長年間(824〜834年)に小野篁が創設した、または足利義兼が創設したなどの説があります。
 足利尊氏も学校を保護し、永享11年(1439年)には荒廃していた学校を関東管領であった上杉憲実が再興しました。日本最古の大学といわれています。

☆私的見所

中世の単郭方形の居館の典型です。土塁や水堀は手入れがしっかりとなされていて保存状態はとても良いです。

 

※近隣・関連史跡など

 

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