撮影日:2006年10月7日 以下の写真は、クリックすると拡大します。 |
01・案内図 |
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02・本丸御殿 |
03・本丸御殿 |
04・案内図 |
05・廊下 |
06・御殿内案内図 |
07・江戸図屏風 |
08・縄張り図 |
09・模型 |
10・中庭 |
11・廊下 |
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12・家老詰所 |
13・縄張り図 |
14・大広間 |
15・富士見櫓模型 |
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16・本丸御殿模型 |
17・縄張り図 |
18・玄関脇 |
19・玄関 |
20・田曲輪門跡 |
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21・富士見櫓跡全景 |
22・富士見櫓台上 |
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23・御嶽神社 |
24・三芳野神社 |
☆名称(別称) |
川越城 (河越城、初雁城、霧隠城) |
☆所在地 |
埼玉県川越市郭町2 |
☆地図 |
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☆創築者、創築時期 (改修者、改修時期) |
長禄元年(1457年) 太田道灌・道真 創築 天文15年(1546年) 大道寺政繁 改修 正保年間(1644〜48年) 松平(大河内)信綱 改修 明治2年(1869年) 松平(松井)康英 改修 明治3年(1870年) 廃城 明治4年(1871年)7月 川越県庁となる 明治4年(1871年)11月 入間県と合併 以後、城内の建築物等は払い下げられ取り壊される。本丸御殿のみは、入間郡公会所、川越青年学校等に使用されたため、保存される。 |
☆城主 |
太田氏 - 上杉氏 - 大道寺氏 - 酒井氏 - (一時番城) - 酒井氏 - 堀田氏 - 松平氏(大河内) - 柳沢氏 - 秋元氏 - 松平氏(結城) - 松平氏(松井) |
☆遺構・復元物 |
本丸御殿、櫓台、堀の一部 |
☆一言歴史 |
扇谷上杉持朝が古河公方足利成氏に対抗するため、家臣の太田道灌・道真父子に城を築かせ、長禄元年(1457年)に完成しました。 当時は北条早雲が相模方面から関東方面に着々と勢力を伸ばしつつありましたが、内紛等により分裂していた上杉氏は、明応4年(1495年)に小田原城を奪われ、早雲の子氏綱には大永4年(1524年)に江戸城を奪われてしまいました。さらに天文6年(1537年)にはこの河越城も奪われてしまいました。 天文14年(1545年)、扇谷・山内両上杉氏は古河公方足利晴氏と連合し8万余りの連合軍を結成し河越城奪還しようとしますが、救援にきた氏綱の子氏康の奇襲により敗走しました。これで完全に河越城は北条氏の支配下に入りました(河越夜戦)。河越城には重臣の大道寺政繁が入り、城を改修しました。 天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐に際しては、北条氏の城代大道寺政繁は前田利家に攻められ開城しました。 同年、徳川家康の関東移封により、酒井重忠が城主となりました。以後、徳川譜代の大名が城主となり明治を迎えました。 |
☆私的見所 |
河越夜戦で有名な川越城ですが、市街地化により当時を偲ばせる遺構は少ないです。 どちらかというと、小江戸を売りにしている川越市内の江戸時代の町並みのほうが有名ですね。ここでも紹介している本丸御殿は江戸時代後期の嘉永元年(1848年)に再建されたものだそうです。 |
※近隣・関連史跡など