蔵王堂城

撮影日:2004年5月22日

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01・蔵王の大欅(ケヤキ)

02・本丸土塁

03・内堀と土塁

04・堀直竒像

05・蔵王権現、毘沙門堂

06・本丸土塁

07・本丸土塁

08・蔵王堂城案内板

 

☆名称(別称)

蔵王堂城

☆所在地

新潟県長岡市西蔵王3

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

南北朝時代(文和〜天授年間?、古志長尾氏?)創築

長岡城完成後に廃城

☆城主

古志長尾氏 - 上杉氏(城代) - 堀氏 - 山田氏(松平氏城代) - 堀氏

☆遺構・復元物

本丸、土塁、堀など。

☆一言歴史

 築城の年代ははっきりしていませんが、南北朝時代の文和〜天授年間には長尾景春が城主になっているようです。上杉謙信により越後が統一されると上杉氏の家臣が城主として入り、上杉景勝の会津移封まで続きます。

 

 慶長3年(1598年)上杉氏の会津移封後は越後春日山城に堀秀治が入封し、蔵王堂城には堀親良が入りますが、慶長15年(1610年)堀氏の内紛によって堀直竒が独立大名となり信濃飯山城へ移封され、越後には松平忠輝が入り、蔵王堂城には城代として山田氏が入ります。

 

 元和2年(1616年)松平忠輝の改易により、堀直竒が再び越後に返り咲き蔵王堂城主となります。信濃川に隣接した蔵王堂城は水害等の恐れがあるせいか、長岡に城の移転を開始します。元和4年(1618年)長岡城築城途中で直竒が越後村上城へ移封となり、牧野忠成に工事は引き継がれ、完成後蔵王堂城は廃城となります。

☆私的見所

 長岡城は、戊辰戦争・第二次世界大戦によって破壊され全く遺構がありませんが、蔵王堂城は神社が引き継いだためか遺構が残っています。本丸土塁や堀の一部が残存し、長岡の城下を整備した堀直竒像があります。また、毎年7月15日には流鏑馬が行われるそうです。長岡駅から車で15分くらいのところにあります。

 

※近隣・関連史跡など

→長岡城へ

→信濃飯山城へ

→村上城へ

→堀直竒の銅像へ

 

   

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