撮影日:2005年4月9日 以下の写真は、クリックすると拡大します。 |
01・小国氏五輪塔 |
02・種月寺 |
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03・種月寺御門 |
04・登城口 |
05・尾根道 |
06・城道 |
07・城道 |
08・城道 |
09・石塁・土塁跡 |
10・石塁・土塁跡 |
11・石塁・土塁跡 |
12・石塁・土塁跡 |
13・石塁・土塁跡 |
14・石塁・土塁跡 |
15・城道 |
16・虎口 |
17・虎口 |
18・郭? |
19・郭 |
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20・郭 |
21・郭 |
22・池 |
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23・空堀 |
24・武者溜り |
25・石碑 |
26・案内図 |
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27・遠景 |
28・石瀬神社 |
31・登城口その3 |
29・登城口その2 |
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30・登城口その3 |
32・岩室神社、松ヶ岳城登城口 |
33・自然歩道案内 |
32・松ヶ岳城遠景 |
☆名称(別称) |
天神山城 |
☆所在地 |
新潟県新潟市大字岩室(旧西蒲原郡岩室村大字岩室) |
☆地図 |
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☆創築者、創築時期 (改修者、改修時期) |
不明(鎌倉時代に築城か?) 慶長3年(1598年)上杉景勝が会津移封の際に廃城 |
☆城主 |
小国氏(のち大国氏に改姓) |
☆遺構・復元物 |
郭跡、屋敷跡、堀切、井戸跡など。 |
☆一言歴史 |
越後の豪族小国氏の居城です。
出自は名門清和源氏で、鎌倉時代に越後の小国保の地頭となった源頼政の子、頼連(頼継)が小国氏と称したことから始まります。
南北朝時代には小国氏は南朝方で戦いましたが、この時天神山城を拠点としていたらしいです。やがて北朝方に制圧されると小国保から天神山に居城を移し、以後この天神山城が小国氏の本拠となります。
戦国時代に入り上杉謙信〜景勝に仕えていた三河守重頼は嫡男が病死し、断絶となるところを直江兼続の実弟である樋口与七実頼を養子として迎え入れ、小国実頼として小国家を相続しました。 天正15年(1587年)、聚楽第落成時に景勝の賀使をつとめ、豊臣秀吉に謁します。この時に姓を大国に改め、大国但馬守実頼となります。 慶長3年(1598年)、上杉景勝が会津移封となると実頼も同行し、会津南山城(鴫山城)城代となって2万1000石を領しました。 慶長6年(1601年)、関ヶ原の戦後処理によって上杉景勝が米沢に再度移封となると、実頼もまた上杉家臣団の例に漏れず同行し、羽前高畑城城代となって7000石を領しましたが、実兄直江兼続と不和になって高野山に隠棲しました。実頼は兼続死後に戻ってきて、米沢で没しました。
なお、天神山城は上杉景勝が会津移封の際に廃城となったようです。 |
☆私的見所 |
麓にあって私がよく行く「だいろの湯」の館内にある付近散策図にて城があったことは知っていましたが、天神山への入口がよくわからなかったため、これまで何度も麓周辺を通りながら、未登城となっていました。このたび是非行ってみようと「だいろの湯」の駐車場にいたおばさんにたずねてみたところ、快く説明していただいたのでようやくわかりました。 しかしながら、県道付近には何の案内も無いので、登城したい方はまずこのページで地図を確認して、「だいろの湯」の職員にでも聞く方がベストではないかと思います。 案内が少ないということから、遺構はあまり期待していませんでしたが、思っていたよりは残っていました。また、城内には説明などはほとんどないので、写真22を印刷していくのが良いと思います。実城(本丸)まで行かなかったので、近いうちにまた行こうと思っています。 |
※関連・近隣史跡など