撮影日:2005年4月16日 以下の写真は、クリックすると大きいサイズになります。 |
01・案内図 |
02・高田城図 |
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03・北堀、二の丸 |
04・西堀、二の丸 |
05・二の丸堀 |
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06・本丸、御三階櫓 |
07・御三階櫓 |
08・内堀 |
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09・本丸、御三階櫓 |
10・本丸、内堀、極楽橋 |
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11・本丸南側、御三階櫓 |
12・御三階櫓南面 |
13・本丸南側土塁、内堀 |
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14・本丸南側土塁 |
15・大手門枡形土塁 |
16・本丸西側土塁 |
17・本丸西側 |
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18・本丸西側土塁 |
19・御三階櫓 |
20・小林古径邸脇の桜 |
21・青田川 |
22・本丸南側、御三階櫓、極楽橋 |
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2004年4月8日の高田城 以下の写真は、クリックすると大きいサイズになります。 |
23・極楽橋 |
24・本丸土塁 |
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25・復興御三階櫓 |
26・案内板 |
27・御三階櫓 |
28・内堀 |
29・御三階櫓西面 |
30・御三階櫓南面 |
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☆名称(別称) |
高田城 (鮫ヶ城、高陽城、螺城、関城) |
☆所在地 |
新潟県上越市本城町 |
☆地図 |
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☆創築者、創築時期 (改修者、改修時期) |
慶長19年(1614年)松平忠輝 創築 寛永元年(1624年)松平光長 拡張 その後、地震等災害による改修数度あり。 |
☆城主 |
松平氏 - 酒井氏 - 松平氏(結城氏) - 幕府直轄 - 稲葉氏 - 戸田氏 - 久松氏 - 榊原氏 |
☆遺構・復元物 |
土塁、堀、本丸跡、復興の御三階櫓。 |
☆一言歴史 |
慶長15年に徳川家康の六男、松平忠輝が信州松代から移封され福島城に入りましたが、75万石の大名にとって城地が狭く日本海側に寄りすぎていたために新しく城地を選び築城されました。慶長19年(1614年)に、伊達政宗の縄張りにより、13名ほど(※注)の大名より助役(天下普請)を得て、たった4ヶ月で本丸周辺が一応完成しました。 築城時期が大阪冬の陣の直前ということもあって、石垣を使用せず土塁のみの城で、天守も築かれずに本丸の三階櫓を天守代用としたらしいです。
その忠輝は政宗の娘、五郎八(いろは)姫を正妻に迎えていましたが、元和2年(1616年)に忠輝は大阪夏の陣の遅参やその後の不遜な行動などを理由に、城が未完成のまま伊勢朝熊に移封されました。忠輝の改易がなければ名古屋城クラスの城になっていただろうとも言われています。
忠輝改易後は、酒井家次、松平忠昌を経て、寛永元年(1624年)に松平光長が入封したときに、城の東を流れる関川と城の西側を流れる青田川、儀明川を改修し外堀としてようやく完成しました。
※注 その他の主な大名は、前田利常(金沢城主)、蒲生忠郷(会津若松城主)、最上家親(山形城主)、佐竹義宣(久保田城主)、仙石秀久(小諸城主)、真田信之(上田城主)、小笠原秀政(松本城主)、村上義明(村上城主)、溝口宣勝(新発田城主)などです。錚々たるメンバーですね。 |
☆私的見所 |
2005年も高田城に来てしまいました。やっぱりここの桜が好きですな(他にも行きたい所はあるのですが・・・)。見所は復興御三階櫓と広大な城地面積でしょう。結構土塁も残っていますが、大学や、グラウンド、自衛隊駐屯所などに転用されているので、見れるところは限られています。因みにここ高田城の桜は日本三大夜桜のひとつです。 |
※関連・近隣史跡など