三根山陣屋、三根山神社

撮影日:2004年3月25日

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01・陣屋跡

02・陣屋の石碑

03・米百俵の碑

04・三根山藩記念庫

05・三根山神社

06・神社の石垣

07・神社の石垣

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☆名称(別称)

三根山陣屋 (峰岡陣屋)

☆所在地

新潟県西蒲原郡巻町大字峰岡

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

寛永11年(1634年、牧野定成)創築

文久3年(1863年、牧野忠泰)整備拡大

☆城主

牧野氏

☆遺構・復元物

遺構なし。三根山藩記念庫と石碑のみが存在。近くに三根山神社があります。

☆一言歴史

 寛永11(1634)年長岡城主牧野忠成の四男定成が6千石を分封され陣屋を建設しました。当時はまだ6千石の為大名ではなく長岡藩の分家扱いでした。その後第11代の忠泰の時、1万1千石に高直りした時に敷地を拡大し、陣屋も整備されました。明治3年に峰岡藩と改称、明治4年に新潟県と合併し廃城となります。

 

 また三根山藩は、戊辰戦争時に長岡藩を救うために送った米百俵の話が有名な所です。

 当時戊辰戦争で敗戦し、7万4千石から2万4千石に減俸された長岡藩は極度の窮乏にあえいでいました。

 三根山藩から送られた米百俵を自分たちに送られたものと思っていた長岡藩士たちに、藩の大参事小林虎三郎が「食えないからこそ国漢学校を建て、人物の育成をするのだ。」といって送られた米をすべて売り払い、学校建設の資金としたということでした。

☆私的見所

 陣屋跡には石碑しかありませんが、陣屋跡近くの三根山神社が当時の雰囲気を一番残していると思います。

 

※近隣・関連史跡

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→天神山城へ

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