五十嵐館

撮影日:2005年6月12日

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01・案内板

03・虎口

04・南隅櫓台

05・虎口周辺

06・南隅櫓跡

07・東隅部

02・縄張り図

08・館跡

09・館跡

10・北東側土塁

11・北東側土塁

 

☆名称(別称)

五十嵐館

☆所在地

新潟県三条市上飯田 (旧南蒲原郡下田村)

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

鎌倉時代 五十嵐小文治吉辰 創築?

改修時期不明

☆城主

五十嵐氏

☆遺構・復元物

土塁、堀、館跡が復元されています。

☆一言歴史

 築城の年代ははっきりしていませんが、鎌倉時代に下田地域の西側を支配した豪族五十嵐氏の築城と考えられています。五十嵐氏は鎌倉幕府に仕え、代々小文治と名のったそうです。

 

 越後下田郷の豪族五十嵐小文治は、弓の名手那須与一が源頼朝の側近梶原景時によって謹慎させられ、預けられた人物でもあります。小文治は、与一を栃尾(現長岡市)の古戸城に住まわせたといわれています(旧栃尾市のホームページより)。与一は頼朝の死後に赦免されて那須に戻るまで越後にいたようです。

 

 この五十嵐館は、鎌倉幕府の御家人であった五十嵐氏代々の居館で、昭和48、50、59年(1973、75、84年)の発掘調査によれば、鎌倉時代から近世初頭までの約400年ほど使用されていたらしいとのことで、現在は土塁、堀、館跡が復元されており、県指定の史跡となっています。

 

 ちなみに、この五十嵐氏は五十嵐姓の源であるともいわれています。というのは、第十一代垂仁天皇の第八皇子である五十日足彦命(五十日帯日子王=イカタラシヒコノミコト)が天皇の命で越後へと下り、下田郷に住んだと伝えられているからです。

 

 まだまだ勉強不足で、その後の五十嵐氏についてわかっていませんので、わかり次第更新したいと思います。

☆私的見所

 全国の「五十嵐」姓の源である旧下田村を訪れてみました。近くの五十嵐神社では、現在も年一回全国の五十嵐姓の方々が集まる「全国五十嵐会」が行われているそうです。もっとも新潟県では「いらし」ではなく「いらし」と読むほうが一般的なんですけどね。現在は三条市と合併しています。

 

※近隣・関連史跡など

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→五十嵐神社へ

 

   

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