大和郡山城

撮影日:2004年10月13日

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01・三の丸柳門

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02・二の丸鉄門

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03・案内図

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04・二の丸鉄門

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05・毘沙門曲輪石垣

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06・本丸石垣

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07・本丸石垣、天守台

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08・本丸石垣

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09・市民会館

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10・東隅櫓

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11・東隅櫓、続多聞櫓

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12・続多聞櫓、続土塀

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13・追手門、続多聞櫓

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14・向隅櫓

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15・追手門

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16・極楽橋

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17・土橋

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18・堀

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19・土橋

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20・柳沢神社

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21・本丸石垣

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22・天守台

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23・天守台

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24・竹林門

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25・向隅櫓

 

☆名称(別称)

郡山城(犬伏城)

☆所在地

奈良県大和郡山市城内町

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

天正8年(1580年、筒井順慶) 創築

天正13年(1585年、豊臣秀長) 改築

文禄4年(1595年、増田長盛) 改築

慶長5年(1600年) 増田長盛改易のため一時番城

元和元年〜(1615年〜、水野勝成) 復興改築(城地は縮小)

☆城主

筒井氏 - 豊臣氏 - 増田氏 - 城番 - 水野氏 - 松平(奥平)氏 - 本多氏 - 松平(藤井)氏 - 本多氏 - 柳沢氏

☆遺構・復元物

 本丸と二の丸の石塁、土塁、堀、天守台などが現存。城跡は県史跡。また、昭和58年(1983年)〜昭和62年(1987年)にかけて、追手門(梅林門)、追手東隅櫓、東多聞櫓、追手向櫓、土塀などが復元されています。

☆一言歴史

 室町時代後期(明応年間、1500年ころ)に郡山衆と呼ばれる土豪の居館があった所に、織田信長より大和一国を与えられた筒井順慶が本拠地として天正8年(1580年)に築城しました。

 

 順慶死後、養子の定次が跡を継ぎますが、天下をほぼ手中に収めた豊臣秀吉により伊賀上野城へ転封、郡山城には秀吉の異母弟秀長を入れ、大和、和泉、紀伊あわせて百万石を与えました。

 秀長は早速、百万石の太守にふさわしい大城郭へと改築、城下町を建設し、五重八階の天守も建てられましたが、地震により倒壊したと伝えられています。石が不足し寺院や平城京跡などから石地蔵や庭石までも徴収し石垣に転用されました。

 秀長の跡を継いだ養子の秀保が文禄4年(1595年)に没すると大和豊臣家は断絶してしまいました。このあと秀吉は五奉行の一人増田長盛が20万石の封禄で入封させ、総構えも完成します。

 

 関ヶ原の戦い後に西軍についた増田長盛は改易され、しばらくの間城番が入りました。

 元和元年(1615年)に水野勝成が6万石を与えられて郡山城を復興させますが、百万石クラスの城は維持できるはずがなく、規模は縮小されました。

 元和6年(1620年)水野氏が福山城へ移封後はめまぐるしく城主が替わり、享保9年(1724年)、大老柳沢吉保の子吉里が甲府城より15万石で入封し、そのまま柳沢氏が世襲しました。

☆私的見所

 城内に入ってみると、柳沢の城という雰囲気になっていますが、それ以前には豊臣秀長百万石の居城でもあったので、かなりの大城郭です。私的には、天守は現存していませんが、野面積みの本丸石垣辺りが見所かと思います。奈良の寺院などからかき集めたといわれている石地蔵なども見所のひとつです。

 しかし残念なことに、私はここで車(&家)のキーを落としてしまったので石地蔵を見逃してしまいました。はるばる奈良まで来たというのに。城内探索中キーを落としたことに気づき、捜し歩きましたがダメでした。石地蔵のことなどすっかり頭から飛んでしまい、スペアキーを作ってもらうために交番などを尋ね歩きまわるという有様でした。このあとに松阪市(松阪城=氏郷ファンですので)に行く予定をパスし、帰路につきました。

 

 余談ですが、かつて私は柳沢吉保を水戸黄門を暗殺しようとする嫌な奴と勝手に決め付けていました(笑)。テレビの影響って大きいなあ。

 

※近隣・関連史跡

→甲府城へ

 

   

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