撮影日:2003年11月3日 以下の写真は、クリックすると大きいサイズになります。 |
01・天守 |
02・内堀と本丸 |
03・天守 |
04・天守内部 |
|
05・二の丸と堀、埋橋 |
06・天守最上階の屋根裏 |
07・天守と本丸 |
08・天守 |
09・水門跡 |
10・月見櫓 |
11・天守 |
12・本丸御殿跡と天守群 |
13・本丸黒門、土橋 |
14・天守 |
15・本丸石垣と内堀、本丸黒門 |
16・天守群、本丸水門跡 |
17・天守と小天守、埋橋 |
18・二の丸太鼓門内部 |
19・本丸黒門と天守 |
20・堀と二の丸太鼓門、二の丸土塁 |
21・二の丸太鼓門 |
22・天守と二の丸土塁 |
23・二の丸東北櫓跡と裏御門橋 |
24・本丸隅櫓跡 |
25・天守と本丸 |
26・本丸黒門 |
☆名称(別称) |
松本城 (烏城、深志城) |
☆所在地 |
長野県松本市丸の内 |
☆地図 |
|
☆創築者、創築時期 (改修者、改修時期) |
永正元年(1504年、島立貞永) 創築?(深志城) 天正18年(1590年着工、石川数正、康長)〜慶長3年(1598年)ころ大改築、拡張 寛永年間(1624〜44年、松平直政) |
☆城主 |
島立氏(小笠原氏) - 石川氏 - 小笠原氏 - 戸田氏 - 松平氏 - 堀田氏 - 水野氏 - 戸田氏 |
☆遺構・復元物 |
天守、乾小天守、渡櫓、辰巳付櫓、月見櫓(以上国宝)、本丸石垣、堀など。本丸黒門、二の丸太鼓門が復元されています。 |
☆一言歴史 |
永正元年(1504年)に信濃守護小笠原氏の家臣島立貞永が築いた深志城が松本城の始まりです。天文19年(1550年)に武田晴信(後の信玄)が侵略し、小笠原長時を追放しました。天正10年(1582年)武田氏が滅ぶと小笠原長時の子貞慶が深志城を奪い返し松本城と改称しました。
天正18年(1590年)小笠原氏は下総に移され、石川数正が入り城の大改築を行いました。改築半ばで数正が死去し子の康長が完成させました。現在の天守はこの時に築かれたそうですが、辰巳付櫓と月見櫓は寛永年間(1624〜44年)に松平氏が在城の頃築きました。ちなみに天守群は連結複合式天守という松本城にしか見られない形式ですが、天守〜小天守が連結式で天守〜付櫓・月見櫓部分が複合式になります。 |
☆私的見所 |
やっぱり国宝天守群でしょう。私は初めて松本城に行った時に感動し、以来お城めぐりにハマってしまいました。冬、天気が良い日には真っ白な北アルプスを背景にお城を見てみたいです。 |
※近隣・関連史跡