小諸城

撮影日:2004年4月2日

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01・案内図

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02・C56

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03・三の門

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04・水櫓跡

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05・二の丸

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06・二の門

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11・天守台

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07・番所跡

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08・二の丸

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09・黒門橋

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10・島崎記念館

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12・武器庫

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13・不開門跡

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14・馬場、天守台

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15・本丸石垣

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16・本丸虎口

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17・本丸石垣

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18・馬場跡

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19・天守台

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20・天守台

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21・案内図

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22・徴古館

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23・三の門

 

☆名称(別称)

小諸城 (酔月城、乙女城、鍋蓋城)

☆所在地

長野県小諸市古城

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

長享元年(1487年、大井光忠) 創築

天文23年(1554年、武田信玄) 修築

天正18年(1590年、仙石秀久) 修築

☆城主

大井氏 - 武田氏(城代) - 織田氏(城代) - 滝川氏(城代) - 北条氏(城代) - 徳川氏(城代) - 依田松平氏 - 仙石氏 - 徳川氏 - 松平氏 - 青山氏 - 酒井氏 - 西尾氏 - 石川氏 - 牧野氏

☆遺構・復元物

本丸、二の丸、大手門、三の門、石垣、天守台など

☆一言歴史

 小諸城は大井庄の豪族大井光忠が自らの居館として長享元(1487)年鍋蓋城を築いたのが始まりです。その後天文22(1553)年甲斐より武田信玄が小諸の諸城を奪い、そのうちの鍋蓋城と乙女城を山本勘介、馬場信幸らに整備させ小諸城としました。信玄の小諸城は天文23(1554)年に完成し、武田氏の城代が置かれます。

 天正10(1582)年武田氏が滅亡すると織田氏の滝川一益が入り、織田信長が本能寺の変で倒れると徳川家康に属し依田(松平)康国が入りました。天正18(1590)年小田原討伐ののち徳川家康が関東移封されると仙石秀久が5万石で城主となり、慶長18(1613)年にかけて城を修築し城下を整備しました。その後も城主はめまぐるしく変わり、元禄15(1702)年に牧野康成が入封し、以降世襲し明治維新を迎えます。

 本丸の天守台には三層の天守が築かれていたようですが、寛永6(1629)年頃落雷で消失したといわれています。

☆私的見所

 石垣好きの私は天守台をはじめ本丸の石垣が好きです。小諸城自体が懐古園となっており、動物園や遊園地がありますので、お子様連れでも大丈夫でしょう。馬場跡は桜の名所でもあります。また、今回は行きませんでしたが(忘れていた(゜ロ゜;))、少し離れたところに大手門も現存しています。

 

※近隣・関連史跡

→上田城へ

→龍岡城へ

 

   

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