飯山城

撮影日:2004年12月14日

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01・城門

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02・西曲輪?

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03・東南側の曲輪

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04・本丸枡形

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05・本丸枡形

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06・本丸石垣

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07・本丸石垣

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08・本丸枡形

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09・案内図

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10・本丸御門石垣

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11・本丸南側

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12・葵神社

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13・本丸御門石垣

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14・本丸石垣

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15・二の丸

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16・三の丸

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17・本丸東側虎口

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18・本丸東側虎口

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19・本丸東側虎口

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20・飯山城東面

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21・三の丸

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22・搦手口

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23・虎口

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24・土塁

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25・西曲輪と駐車場

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26・南中門礎石

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27・飯山城全景

 

☆名称(別称)

飯山城

☆所在地

長野県飯山市大字飯山

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

建保元年(1213年)泉親衡 居館創築?

永禄7年(1564年)上杉謙信 改修

天正11年(1583年)上杉景勝(岩井信能) 改修

☆城主

泉氏 - 高梨氏 - 上杉氏(城代岩井氏) - 関氏 - 皆川氏 - 堀氏(直竒家) - 佐久間氏 - 松平氏(桜井家) - 永井氏(尚廉家) - 青山氏(幸成家) - 本多氏(康重家)

☆遺構・復元物

本丸、二の丸、三の丸、石塁、土塁が現存。伝承の城門が移築・修築されて現存。

☆一言歴史

 飯山城の築城時期については諸説あるようですが、一説には鎌倉時代建保元年(1213年)に地元の豪族である泉親衡が居館を築いたのが始まりといわれています。南北朝時代には大泉館と呼ばれていたそうです。

 戦国時代になると、泉氏は越後の上杉氏(長尾氏)に属しました。永禄7年(1564年)に上杉謙信は飯山城を南方から迫る武田信玄に備えるための橋頭堡として大改修を行いました。現在の縄張りは謙信が直々に行なったらしいです。

 謙信死後は、その跡を継いだ上杉景勝の属城となり、景勝の命により城代岩井氏が改修し、城下町を整備しました。

 慶長3年(1598年)に景勝が会津へ移封となった後は、関氏、皆川氏と続きますが、いずれも改易され、春日山城主堀秀治の与力であった堀直竒が主家の没落後に独立大名となり4万石の領主となりましたが、数年で越後長岡(蔵王堂)城主として移封してしまいます。その後も城主はめまぐるしく替わり、享保2年(1717年)に本多康重が入封し、以後本多氏が世襲して明治を迎えました。

 

 この城の石垣は、積み方は基本的には野面積みなのですが、落し積みで築かれていますので、独特の趣があります。江戸時代後期の弘化2年(1847年)に善光寺大地震が起こり石垣や建築物が大破したために積み直されたらしいですが、手持ちの史料が乏しいので、これ以上の詳細は今のところ不明です。

 謙信築城当初は、北側が大手でしたが、江戸時代に入ってからは南側に変更されました。

☆私的見所

 マイナーな城ではありますが、明治まで存続した城です。上杉謙信武田信玄の進攻に備えて築いた城ですが、当時は石垣は無かったことでしょう。本丸のみ石垣造りであり、他は土塁のみの平山城です。

 西曲輪は市民会館や弓道場となって伝・城門が移築復元されてお城の雰囲気を出そうとする努力の跡は見えるのですが、背景が鉄筋コンクリートの市民会館であり、門の位置も史実とは関係ないようなので違和感があります。しかしながら、西曲輪以外は曲輪や石垣が良く残っていますので、それほどがっかりすることもありませんでした。本丸、二の丸、三の丸付近が見所です。

 ちなみに西曲輪跡の駐車場脇にも立派な石垣がありますが、本物ではありません。  

 個人的には石垣の保存状態も良く、とても良かったです。

 

※近隣・関連史跡など

→春日山城へ

→鮫ヶ尾城へ

→上杉謙信の銅像へ

→武田信玄の銅像へ

→堀直竒の銅像へ

   

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