仙台城(青葉城)

撮影日:2004年12月11日

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IMGP1300.JPG (148999 バイト)

00・案内板

01・長沼

02・三の丸子ノ門跡

03・大手門跡、復興隅櫓

04・大手門隅櫓

05・支倉常長像

06・大手門隅櫓

07・中門(虎ノ門)石垣

08・本丸石垣

10・本丸石垣

09・本丸石垣

11・本丸石垣

12・本丸西脇櫓跡

13・本丸西脇櫓跡

14・本丸

15・伊達政宗像

16・本丸巽櫓跡

17・本丸埋門跡

18・本丸西ノ門跡

19・西ノ門脇石垣

20・西ノ門〜西脇櫓付近の石垣

21・本丸西脇櫓石垣

22・沢ノ門跡

23・清水門跡

24・酒蔵跡

25・三の丸巽門跡

26・三の丸巽門礎石

27・残月亭

28・残月亭

29・三の丸東側土塁

30・三の丸子ノ門跡

 

☆名称(別称)

仙台城 (青葉城、)

☆所在地

宮城県仙台市青葉区川内

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

慶長5〜7年(1600〜02年)、伊達政宗 創築

☆城主

伊達氏

☆遺構・復元物

本丸、二の丸、三の丸(東の丸)の石塁、土塁、堀、などが現存。大手門隅櫓が昭和40年(1965年)に復元。平成16年(2004年)3月に本丸(艮櫓)石垣が修復されました。

☆一言歴史

 慶長5年(1600年)に関ヶ原の戦功により加増された伊達政宗が、居城である岩出山城が領地の北に寄りすぎていることから、奥羽街道に接している千代(せんだい)の地を選び、築城を開始しました。築城に際し千代を仙台と改めました。慶長7年(1602年)にはほぼ完成しましたが、天守は台のみで建てられなかったようです。替わりに本丸には三重櫓が4基も建てられ堂々たる威風を醸し出していました。しかし、正保3年(1646年)の大地震により、本丸の櫓は全て倒壊したらしく、また、再建もされなかったそうです。

 本丸は政宗の代のみ使用され、二代忠宗からは二の丸(現東北大学敷地)で藩政を行いました。

☆私的見所

 建築物は昭和20年(1945年)戦災により焼失してしまったため現存していません。孕み出しが生じ崩落の危険があったために積み直しが行われていた艮櫓下の石垣の修復が平成16年(2004年)に完了しました。ここが見所の一つでしょう。

 他にも本丸周辺の石垣は残っていますが、仙台城内を主要道路が通っているために分断され、交通量が多いため気をつけないと事故にあう危険性があります。事実写真を撮るのは大変でした。史跡としてはあまり良くないです。このため思ったより疲れてしまい、二の丸まで歩く気力が失せてしまったので、二の丸付近はまたいつか訪れた時に行こうかと思います。

 数年前に本丸の艮櫓を復元しようとする動きがありましたが、正確な図面等もなかったせいか実現せず、孕みが生じて危険な本丸石垣の修復にとどまっています。

 修復時には、政宗が築城した頃の石垣が出土し、話題になりましたが埋め戻されてしまったのでしょうか?それとも二本松城のように場所を変えて展示するのでしょうか?

 個人的な意見ですが、昭和の時代に多く作られた史実の通りでない建築物にお金をかけるよりは、史跡保存のために城内を通らないように新しく迂回路を作るなどすべきだと思います(あくまで個人的な意見です)。

 

※近隣・関連史跡

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