小田原城

撮影日2006年1月29日

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01・案内図

02・縄張り図

03・本丸石垣

04・本丸石垣

05・本丸西側土塁

06・本丸石垣

07・本丸石垣

08・本丸石垣

09・南曲輪

10・南曲輪石垣

11・馬屋曲輪石垣

12・馬出門

13・二の丸と隅櫓、堀

14・馬出門土橋

15・二の丸

16・二の丸隅櫓

17・二の丸隅櫓案内板

18・二の丸

19・二の丸案内板

20・土塀模型

21・銅門

23・銅門一の門

22・銅門枡形

IMGP6773p.JPG (188799 バイト)

24・銅門二の門

25・銅門古写真

26・馬出門石垣

27・銅門

28・銅門、御茶壺曲輪

29・御茶壺曲輪南門、銅門

31・小田原攻防戦布陣図

30・本丸、常盤木門

32・本丸絵図

33・本丸東堀

IMGP6807p.JPG (285134 バイト)

34・常盤木門

35・天守

36・本丸

37・石垣山城

38・天守

39・天守

40・鉄門

☆名称(別称)

小田原城 (小峰城)

☆所在地

神奈川県小田原市城内

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

説@ 鎌倉時代初期に土肥氏が創築か?

説A 応永24年(1417年)以降に大森氏が創築か?

説B 明応4年(1495年)以降に伊勢新九郎長氏(宗瑞、北条早雲)が八幡山を中心に創築し、以後後北条氏4代にわたって拡大していった?

天正15年頃〜19年(1587〜91年)、北条氏政・氏直が豊臣秀吉の襲来に備え拡張

天正19年(1591年)、大久保忠世 改修

慶長19年(1614年)、大久保忠隣改易時に大門、石垣等を破却

寛永9年〜延宝年間(1632〜81年頃)、稲葉正勝〜正則 公儀普請にて改修

宝永元年〜3年(1704〜1707年)、大久保忠増 改修

明治3年(1870年)、天守、櫓、砲台などを破却

明治4年(1871年)、小田原県庁、足柄県庁となる

明治26年(1893年)、天守台に大久保神社建立

明治27年(1894年)、小峰曲輪に報徳二宮神社を建立

大正12年(1923年)、関東大震災により残存建築物、石垣などが崩壊

昭和9年(1934年)、二の丸平櫓を復興

昭和13年(1938年)、二の丸、三の丸土塁、外郭が国史跡に指定

昭和25〜28年(1950〜53年)、天守台を復元

昭和33年(1958年)、小田原城址公園となる

昭和34年(1959年)、本丸が国史跡に指定、星崎記念館を開設

昭和35年(1960年)、天守を外観復元

昭和38年(1963年)、本丸常盤木門の枡形石垣を復元

昭和46年(1971年)、常盤木門を復元

平成2年(1990年)、住吉橋を復元

平成4年(1992年)、住吉堀を復元

平成5年(1993年)、茶壷曲輪の南門土塁を復元

平成9年(1997年)、銅門、塀、中仕切門を復元

☆城主

土肥氏 - 大森氏 - 後北条氏 - 大久保氏 - 阿部氏 - 稲葉氏 - 大久保氏

☆遺構・復元物

 現在は、城跡の本丸、二の丸、大手門と箱根口門の石垣の一部は国史跡及び小田原城址公園となっています。

 天守台、本丸、二の丸、馬屋曲輪、南曲輪の石垣、内堀、中堀の一部、茶壷曲輪、小峰曲輪などの土塁や空堀の一部、旧家老大久保家の屋敷跡、大手門と箱根口門の石垣の一部、幸田口門跡付近の土塁などが現存しています。

 小田原城を、江戸時代末期の状態に近づけるべく整備復元を目指しているとのことです。

☆一言歴史

 関東の名城の一つ小田原城は、意外にも創築は明らかになっていません。

説としては、鎌倉時代初期に土肥遠平が創築したとか、応永年間に起こった上杉禅秀の乱や永享の乱の頃、大森頼顕や頼春が創築したとか、明応4年(1495年)に北条早雲(伊勢宗瑞)が小田原に入ってから後北条氏二代目の氏綱以降にかけて創築されたのだなどと諸説あります。

 

 いずれにしても、当初は現在小田原高校付近の八幡山にあったという考えが有力なようです。その後、永禄年間(1558〜70年)に後北条氏によって二の丸外郭が築かれ、上杉謙信や武田信玄の進攻によって天正年間(1573〜1592年)に三の丸外郭までが築かれ、豊臣秀吉の小田原攻めによって総構まで築かれ発展したとする説でほぼ間違いないように思われます。

 城域は、秀吉の小田原攻めの頃から大久保忠世・忠隣の頃までが最も大きく発展していたようで、忠隣が本多正純との対立で失脚、改易された後は、破壊・縮小されて番城となります。

 

 一時阿部正次が入城するものの、再び番城となり、春日の局の子で老中の稲葉正勝が8万5000石で入城してから、正勝の子正則〜正往にかけて改修され、城域が三の丸以内に縮小整備されました。正往が越後高田に転封後の貞享3年(1686年)に、大久保忠朝が旧領に復して明治まで在城します。

 ちなみに小田原城はたびたび大地震によって被害を受け、その都度修理・再建がなされていました。

☆私的見所

 今回は小田原駅の東側、現在の小田原城址公園部分しか回りませんでしたが、徳川譜代の城お得意の鉢巻石垣や、関東大震災で崩落した石垣部分などが見所かと思います。

 また、天守は外観復元で展望台となっていますが、石垣山城や、総構えがいかに広大であったかなどもわかりますので、その辺りも見所に加えても良いですね。

 まだ見て(行って)いないところがかなりあるので、再度訪れて、駅の西側や総構も見てみたいですね。そして、是非石垣山城も行かなければ・・・などと思ってしまいました( ´ー`)y―~~。

 

※近隣史跡など

→北条早雲の銅像へ

→豊臣秀吉の銅像へ

→二宮尊徳(金次郎)の銅像へ

→桜町陣屋へ

 

   

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