高崎城

撮影日:2006年8月2日

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01・案内図

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02・堀

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03・模擬石垣

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04・模擬石垣

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05・模擬石垣

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06・乾櫓、東門

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08・本丸乾櫓

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09・乾櫓、東門

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10・本丸乾櫓

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07・縄張り図

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11・三の丸土塁、堀

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12・三の丸土塁、堀

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13・三の丸土塁

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14・三の丸

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15・三の丸土塁

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17・三の丸土塁、堀

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16・市役所

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18・縄張り図

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19・三の丸土塁

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20・本丸乾櫓

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21・乾櫓説明

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22・乾櫓石垣

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23・本丸乾櫓

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24・本丸乾櫓

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26・東門

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25・乾櫓、東門

 

☆名称(別称)

高崎城 (和田城)

☆所在地

群馬県高崎市高松町

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

(和田城)

正長元年(1428年)、和田義信 創築

天正18年(1590年)、和田信業のとき落城し廃城となる

(高崎城)

慶長3年〜6年(1598〜1601年)、井伊直政 創築

 

明治4年(1871年)、高崎県庁が置かれるが、群馬県と合併し群馬県庁となる。翌年前橋城跡へ群馬県庁移転

昭和49年(1974年)、民家の納屋として移築されていた本丸乾櫓を重要文化財に指定

昭和51年(1976年)、同櫓を城跡に移築復元

昭和55年(1980年)、民家の門として移築されていた三の丸東門を城跡に移築復元

☆城主

(和田城)

和田氏

(高崎城)

井伊氏 - 諏訪氏 - 酒井氏 - 戸田氏 - 藤井氏 - 安藤氏 - 大河内氏 - 間部氏 - 大河内氏

☆遺構・復元物

三の丸土塁、堀(市史跡)、旧和田城櫓台、移築復元乾櫓、移築復元東門。

☆一言歴史

 正長元年(1428年)、源平の戦いに登場する和田義盛の子孫義信が烏川の東岸に和田城を築きました。和田氏は、越後の上杉、甲斐の武田、相模の北条の争いの中で6代160年にわたって居城しました。

 烏側を天然の堀としたこの城は、永禄4年(1561年)の上杉謙信との功城戦においてその堅固さを発揮し、謙信も落とすことができませんでした。

 天正18年(1590年)、豊臣秀吉の天下統一最終事業である小田原征伐の際、和田氏6代目信業は北条氏に加勢し、小田原城に籠城しました。和田城は家臣柴田弥次郎が守りましたが、前田利家上杉景勝の軍勢に攻められ落城しました。城主和田信業も北条氏と運命を共にし、滅亡しました。

 

 慶長3年(1598年)、徳川家康の命によって、箕輪城主井伊直政が中仙道、碓氷峠押える拠点として和田城跡に築城を開始しました。直政は、箕輪城から城下町も移し、堀と土居によって囲まれた総郭としました。高崎と改称したのもこのときのようです。

 高崎城は4年後に完成しましたが、直政は関ヶ原の戦における軍功により近江佐和山に移封となり、以後譜代の大名が城主となり明治に至りました。

☆私的見所

 この高崎城は、寛永9年(1632年)安藤重長が城主のころ、駿河大納言こと徳川忠長が幽閉され、翌年自害した城として有名です。その居室と伝承されている書院が長松寺庫裡として移築されているようですが、この時の高崎は夏真っ盛りの暑さでとても行く気にはなりませんでした。今回は三の丸の堀沿いを歩いただけでやめてしまいました。またの機会に行こうかと思っています。すみません。

 本来の位置ではないですが、移築復元されている乾櫓と東門が見所のひとつです。私は三の丸の土塁と堀が良かったです。

 

※近隣・関連史跡

→名胡桃城

→太田金山城へ

→館林城へ

→小田原城へ

→彦根城へ

 

   

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