高山城

撮影日:2004年9月4日

以下の写真は、クリックすると大きいサイズになります。

→順番に見る  

P9040302.JPG (122596 バイト)

01・二の丸、金森長近像

P9040304.JPG (179898 バイト)

02・城山案内図

P9040305.JPG (121912 バイト)

03・城道?

P9040307.JPG (115821 バイト)

04・白雲水

P9040311.JPG (125105 バイト)

05・御門跡?

P9040317.JPG (101486 バイト)

06・本丸御門跡

P9040318.JPG (93352 バイト)

07・本丸御門跡

P9040319.JPG (167916 バイト)

08・使者の間石垣

P9040320.JPG (101956 バイト)

09・搦手門跡

P9040323.JPG (162181 バイト)

10・本丸

P9040327.JPG (126060 バイト)

11・使者の間石垣

P9040334.JPG (113878 バイト)

12・本丸屋形図

P9040336.JPG (102640 バイト)

13・本丸石垣

P9040354.JPG (135609 バイト)

14・二の丸付近石垣

P9040355.JPG (108153 バイト)

15・二の丸と金森長近像

 

☆名称(別称)

高山城 (天神山城)

☆所在地

岐阜県高山市城山

☆地図

  ←地図はこちらをクリック

☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

永正年間(1504〜21年、高山外記) 創築(天神山城)

天正16〜慶長8年(1588〜1603年、金森長近〜可重) 天神山城を改修し高山城と称する。

元禄5年(1692年) 金森氏転封後幕府直轄地

元禄8年(1695年) 廃城

同年、金森氏旧下屋敷を代官所とし、以後、高山陣屋と称する。

☆城主

高山氏 - 三木氏 - 金森氏 - 天領

☆遺構・復元物

本丸跡、石垣の一部、空堀などが現存。使者の間の石垣の一部を復元。

☆一言歴史

 飛騨国守護である京極氏家臣の高山外記が永正年間(1504〜21年)に天神山に築城したことが始まりといわれています。永禄元年(1558年)に三木自綱が天神山城を攻略しその支城となります。

 

 天正13年(1585年)豊臣秀吉が越前亀山(大野)城の金森長近に飛騨討伐を命じ、三木氏は滅亡しました。この功績によって長近は飛騨3万8千石の領主となり、同16年(1588年)より天神山古城址に築城を開始しました。そしてこの地を高山と改めました。

 

 金森氏は関ヶ原の戦い時に東軍に属し戦後加増され6万石となりましたが、元禄5年(1692年)頼旹(頼時?)の代に出羽上山城へ転封となります。高山は以後天領となり、しばらく金沢の前田家が管理していたようです。

 

 元禄8年(1695年)高山城を廃し、旧金森家下屋敷を代官所(高山陣屋)としました。

 

 現存する高山陣屋は、明治維新後も昭和44年!(1969年)まで高山県庁や飛騨地方事務所などに使用され、飛騨の政治の中心であり続けました。

☆私的見所

 実を言うと、高山陣屋を目指して行ったのですが、当日某宗教団体の総本山(高山市内にある)において何かしらの集まりがあり、また週末ということもあって道路が大渋滞し、駐車場も空きが無かったため陣屋見物をあきらめました。折角来たので、金森長近が居城したという高山城を思い出し、城山公園というのがおそらくそうだろうと目指していきました。

 記憶はあいまいでしたが、行ってから何とかなるだろうと思って行くだけ行ってみようということでした。ただ、何も資料を持たずに行ったので、案内板を見ながら本丸をひたすら目指すことになりました。思っていたより遺構が残っていてほっとしましたけど。

 高山城の見所は、本丸のわずかな石垣と復元された使者の間の石垣の一部でしょう。また、写真は取れませんでしたが城下町もいい雰囲気を残しています。

 記憶があいまいなので、他にも遺構は無いのかと調べてみたところ、御坊坂や城坂、海老坂なども遺構であるようです。そういえば車で通った気がすると思いつつも、後の祭り。雨も降ってきたこともあり、またの機会に高山を訪れたいと思いました。

 

※近隣・関連史跡

→金森長近の銅像へ

→越前大野城へ

→上山城へ

 

   

inserted by FC2 system