越前大野城

撮影日:2006年6月18日

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01・遠景

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02・案内図

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03・西登り口

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04・土井利忠像

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05・遊具

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11・城下

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06・天守郭石垣

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07・御門の石垣

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08・復興天守

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09・御門の石垣

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10・天守郭石垣

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12・天守郭石垣

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13・天守郭石垣

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14・天守郭石垣、大天守、小天守

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16・本丸、武者登り

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15・天守郭石垣

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17・武者登り

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18・武者登り

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19・天守郭石垣

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20・天守郭石垣、天守群

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21・金森長近像

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25・腰郭?

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22・本丸石垣

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23・本丸石垣、城跡碑

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24・本丸石垣、城跡碑

 

☆名称(別称)

大野城 (亀山城)

☆所在地

福井県大野市城町

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

天正4年(1576年)、金森長近 創築。亀山に築城し戌山城から移転しました。

安永4年(1775年)、大火により全焼し、亀山の本丸建築物は再建されず。

その他改修時期不明。

明治4年(1871年)、廃藩置県により大野県となるが、数ヶ月で福井県に合併。

昭和32年(1957年)、亀山公園となり、県史跡に指定される。

昭和43年(1968年)、旧藩士子孫萩原氏により寄付され、天守群を復興。

☆城主

金森氏 - 長谷川氏 - 青木氏 - 織田氏 - 結城氏(越前松平氏・城代) - 土屋氏 - 小栗氏 - 越前松平氏

☆遺構・復元物

本丸石塁、空堀、内堀跡、外堀の一部などが現存。天守群は前出の通り復興。

☆一言歴史

 大野城は、天正3年(1575年)に織田信長の武将であった金森長近が越前国大野郡の所領を得て、当初、朝倉景鏡の戌山城に入城しましたが、翌天正4年(1576年)に新しく築いたこの大野城に移転しました。

 この時には、亀山山頂の本丸に二重二階の天守や小天守、二重三階の天狗書院などが築かれ、東側の山麓には二の丸と三の丸が築かれました。

 

 天正14年(1586年)、金森長近飛騨高山城へ転封となった後は、青木秀以、長谷川秀一、織田秀雄らが城主となりますが、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い以後は、北庄城(のちの福井城)に結城秀康が入り大野郡もその所領となったため、北庄城の支城とし土屋氏や小栗氏が城主となりました。

 

 寛永元年(1624年)以降には、秀康の三男直政、四男直基、五男直良ら(四男〜六男としているものもあります)が独立の藩として成立していったようです。直良の子直明が播磨の明石城へ転封の後には、あの大老土井利勝の三男利房が下野より入封し、明治4年(1871年)に廃藩置県により大野県となるまで土井氏の所領でした。ただ、大野県庁であった期間は4ヶ月ほどで、その年のうちに福井県に合併されて、廃城となり城内の建築物は取り壊されてしまいました。

 

 なお、本丸の天守などは、安永4年(1775年)に大火により全焼してしまい、その他の建築物も再建されませんでした。

 山麓の二の丸や三の丸は役所や学校用地などとして利用されましたが、昭和32年(1957年)に本丸のある亀山部分を亀山公園とし、県史跡となりました。

 昭和43年(1968年)に、旧藩士子孫萩原氏の寄付によって天守群を復興しました。

☆私的見所

 今回は、時間の都合で亀山の本丸以外はパスしましたので、本丸以外は全く見ていませんが、本丸の野面積みの石垣は見所ですね。やっぱり石垣のある城はいいなあ。

 ところで、写真01を見るとわかるとおり、福井市方面から大野市へ向かってくると、ちょうど大野城のある亀山に当たるため、亀山を貫通するトンネルを掘る計画もあったそうですが、地域住民の方々らの反対運動が起こり、亀山を迂回するルートに変更されたそうです。大野城が大野市民のシンボルだからというのがその理由とのことです。都市開発も大切な事業ですが、やはり史跡は大切にして欲しいですね。ちなみに隣の勝山市では、勝山城の遺構が都市開発により完全に消滅してしまいました。

 

※関連・近隣史跡

→高山城へ

→福井城へ

→北庄城へ

→丸岡城へ

→一乗谷館・復原武家屋敷へ

→丸岡藩砲台跡へ

→金森長近の銅像へ

→結城秀康の銅像へ

 

   

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