弘前城

撮影日2003年12月11日

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01・二の丸未申櫓

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02・二の丸未申櫓

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02・三の丸東門

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04・案内図

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05・三の丸

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06・三の丸東門

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07・二の丸、中堀

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08・土橋

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09・土橋、二の丸東内門

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10・二の丸東内門

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11・二の丸東内門

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12・天守(御三階櫓)

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13・二の丸辰巳櫓

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14・二の丸辰巳櫓

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15・二の丸南内門

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16・二の丸未申櫓

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17・二の丸未申櫓

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18・旧天守台(本丸未申櫓)

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19・内堀

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20・西の丸

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21・埋門

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22・埋門

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23・西の丸未申櫓

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24・旧天守台(本丸未申櫓)

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25・本丸虎口枡形

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26・天守(御三階櫓)

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27・本丸石垣、亀石

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28・天守(御三階櫓)

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29・天守(御三階櫓)

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30・岩木山

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31・本丸戌亥櫓

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32・内堀と鷹岡橋

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33・本丸

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34・天守(御三階櫓)

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35・内堀と鷹岡橋

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36・武徳殿休憩所

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37・内堀、本丸、天守

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38・本丸、天守(御三階櫓)

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39・鷹岡橋

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40・本丸石垣

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41・内堀

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42・二の丸丑寅櫓

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43・二の丸丑寅櫓

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44・二の丸丑寅櫓

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45・二の丸丑寅櫓

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46・天守(御三階櫓)

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47・天守(御三階櫓

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48・天守(御三階櫓

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49・内堀

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50・案内図

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51・二の丸南内門

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52・二の丸南内門

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53・追手門

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54・案内図

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55・追手門

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56・追手門

 

☆名称(別称)

弘前城 (鷹岡城、高岡城)

☆所在地

青森県弘前市白銀町

☆地図

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☆創築者、創築時期 

   (改修者、改修時期)

慶長14〜16年(1609〜11年) 津軽為信〜信枚 創築

文化7年(1810年) 津軽寧親 天守(御三階櫓) 造営

☆城主

大浦氏 - 津軽氏に改姓

☆遺構・復元物

天守(御三階櫓)、二の丸の3棟の櫓(未申櫓、辰巳櫓、丑寅櫓)、二の丸、三の丸の門5門(東門、東内門、南内門、追手門、北門)、石塁、土塁、堀など。東北で唯一の現存天守です。

☆一言歴史

 南部氏の支配下にあった大浦為信が、元亀2年(1571年)に石川城を急襲し、津軽の郡代であった城主南部高信を自害させました。これを手始めに次々と津軽地方の諸城を落して天正18年(1588年)に津軽地方をほぼ手中に収め、南部氏から独立しました。

 為信が津軽を平定したその頃、中央は織田信長が本能寺で明智光秀に討たれ、その光秀を討って天下を統一した豊臣秀吉が関白になって権威を振るっていました。

 為信の凄いところは、中央の政局に敏感であったことがあげられます。秀吉が天下人となって既に世の中が変わったことを悟ると、早速秀吉に使者を送り、南部氏に先んじて所領を安堵してもらうと、姓を津軽と改め、3万石の独立大名となりました。

 

 関ヶ原合戦では東軍側につき、徳川家康から4万7千石に加増され、鷹岡の地に城を築いて子の信枚の時に城が完成しました。

 この時の弘前城は五重の天守でしたが、寛永4年(1627年)天守に落雷があり、天守内にあった焔硝に引火したことにより爆発炎上してしまいました。翌寛永5年(1628年)鷹岡を弘前と改め、弘前城となりました。

 

 幕末になると、北方にロシアの軍艦が現れ始め、その警護にあたった功により、文化5年(1808年)に10万石に高直しされ、文化7年(1810年)には念願の御三階櫓の建築許可がおり、東南隅櫓に代えて現在見られる三層の御三階櫓を天守代用として築きました。

 

 江戸時代を通して、隣の南部藩とは仲が悪く(現在も?)、戊辰戦争では新政府軍に味方して、やはり南部藩と戦っていました。新政府軍に味方したおかげで城の破却を免れ、現在もたくさんの遺構が残っています。

☆私的見所

 現存天守は城の縄張りと比較してかなり小さい(いわゆる御三層櫓)ですが、東北でも随一の広さを誇る城郭と西の丸からみた旧天守台が良い感じです。本丸のみ石垣で築かれています。

 訪れる季節は、桜の季節が良いようです。寒いのが苦手な人は尚更です。当日も朝は-2℃でしたし、冬の間は資料館になっている天守内が閉鎖されていますから、雪が好きな人以外はなるべく暖かい日に行きましょう。旧大手である亀甲門に行かなかったのは失敗です。また、弘前城の後に盛岡城へ向かいましたが、途中堀越城の脇を通ったにもかかわらず、疲労のため、立ち寄る気にならず素通りしてしまったことも悔やまれます。(きちんと計画を立てなかったことがいけないのですが・・・)

 再度行きたいと思っていますが、新潟県からは非常に遠いため、いつになるかわかりません。

 

※近隣・関連史跡

→盛岡城へ

 

     

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