大垣城での戸田氏鉄像 撮影日:2004年9月4日 以下の写真はクリックすると大きいサイズになります。 |
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戸田氏鉄 (とだ うじかね・・・戸田一西(かずあき)の子、従四位下采女正) ・・・天正4年〜明暦元年(1576〜1655年)
大垣城での戸田氏鉄像です。
朝一番に大垣城を訪れて誰の銅像なのかと思ったら、戸田氏鉄?誰?・・・戸田一西はおぼろげながら知っていたので、関係があるのかなと思っていたら息子でした。
実は前日の夜に関ヶ原古戦場脇の国道を通っていて、頭の中はすっかり司馬遼太郎の「関ヶ原」モードになっていました。ですから銅像を見つけたときに石田三成かも?なんてひそかに期待をしていましたがアテが外れました(氏鉄ファンの方ごめんなさい)。
そこで戸田氏鉄の概略を少しだけ調べてみました。
関ヶ原の戦で戦功のあった近江膳所城主戸田一西の子で、徳川家康の近習を務めていたそうです。一西の死後近江膳所3万石を継ぎ、元和2年(1616年)に摂津尼崎5万石、寛永12年(1635年)美濃大垣10万石と栄進した大名です。
当時の大垣は多くの河川に囲まれ、私の居住地である越後と同じく水害が多く、領民はたびたび起こる洪水に苦労をしていたようです。氏鉄は大垣に入封後その対策のために大きな水門を造るという業績を残しています。他にも新田開発などの業績を残しており、やはり地元の人々にとって氏鉄は優れた城主であり、氏鉄の銅像があって当たり前だなと素直に思いました。
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